もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

毒親育ちが嵐の会見を見て感じたこと

嵐の活動休止が発表されて、昨日はさすがに驚きました。

 

会見でも、彼らの誠実さ、グループや周りの人を想う気持ちが伝わってきて、とくに大ファン!とかいう訳でもないのですが、見ていると少し泣けてきました。

 

その中で、印象に残った、二宮くんの言葉。

 

1人が「やりたくない」と言ったときには、なぜかというのを徹底的に話し合って、みんなで共有をして決断をする

 

これって簡単そうに思えて、難しいことだよなぁと思いました。

それと同時に『これが、家族相手にでもできない人がいるんだよな。毒親って言うんですけど』って思ってしまいました。

 

何でもかんでも、時事ネタを毒親問題と掛けりゃいいってもんじゃないと言われそうですが

この二宮くんの言葉は本当に私が常日頃から思っていることをまさに代弁してくれたって感じなのです。

たりの為に代弁したのではない

 

母もそうだし、今まで『合わないな』というタイプの人がまさにこれで

相手の『嫌だ』『やりたくない』という感情に、とかく真剣に耳を傾けない。

「なんで?」「ええやん、別に!」「すぐに慣れるって」「甘い」etc・・・

こういう薄っぺらい言葉で片付けようとする。

そのくせ、自分が嫌なこと・やりたくないことは断固として受け入れようとしない。

そういう人、本当に本当に苦手です。

tari97.hatenablog.com

そして、日本はやっぱり「事なかれ主義」なのか?

そういう人が多いというか、そういう言葉で返されがちなことも多い気がします。

 

 

私は、母に『嫌だ』『やめて』と訴えたことに関しても、ほとんど真面目に取り合ってもらえなかったトラウマがあるから

多分人よりもそういう返しをされることに敏感な自覚はあります。

なので、相手の「嫌」「やりたくない」を、受け入れるか受け入れないかは別として

まずは何があっても、母と同じことをやる(「なんで?」「ええやん、別に!」等の一方通行な言葉で片付ける)人間にだけはなりたくはないのです。

 

大げさかも知れないけれど、こういう考え方の人がもっと社会に増えたら、単純に日本は良くなるんじゃないかな~って思います。

そういう考え方ができる人が増えている実感も、あるのですけどね(と言うか、世間には元々そういう人も溢れているのかも知れないけど、まず一番密に過ごしてきた親があれだから、どれが一般的なのか、わからない)

 

で、正直な話

嵐とそのへんの人とじゃ、背負っているものが違いすぎる。

私が大野くん以外のメンバーなら「いやいや!ありえないでしょ~」と、思うと思う。

もちろん、メンバーも最初は思ったかも知れません。

そして大体の人なら、背負っているものの大きさから「まぁ、そうは言っても、またやろうよ」と、丸め込むのが一般的な気もしますが

大野くんの言葉に真摯に向き合い、出した答えなんだろうなというのが、本当に伝わってきた。「嵐の一員」であることよりも「一人の人間」として。

 

だからこそ、こんなに若くて、大きなものを背負っている彼らさえ

もがいて答えを導き出しているのに

うちの母ときたら、取るに足らないしょーもないことで

口から泡をとばして「なんで?」「ええやん、別に!」「甘ったれ!」としか返せない

その人間の小ささに、ほとほと嫌気がさした訳です。

母みたいな、超ご都合主義の人間と長い時間を共にした私からすると、嵐の5人は神様のように見えたし、一体母って何だったんだろうと、虚しい気分になりました。

(嵐さん関係ないのに、比べてしまってなんかすみません)

tari97.hatenablog.com

 

とは言え、まだ終わったわけではないですし、あと2年弱、最高の思い出を作って

5人も、まわりの人たちも、笑い合えたらいいなと心から思います。

 

5人に幸あれ!

応援しています。

 

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