今まで、母が嫌い過ぎてあまり目を向けられていなかった(そこまでの余裕がなかった)ことの中で
自分さえよければいいような人とか、どことなく人を小馬鹿にするような人とか、変なとこでマウント取ってくる人とか
何かしら、モヤっとさせられたり、カチンとくる人に出会うことも多く
自分自身すごく嫌な思いをしているのにも関わらず、きつく言い返すことができず
変に我慢して、結局最後に縁を切ってしまったりすることが度々ありました。
嫌な気持ちになっているにも関わらず、母のように怒鳴ったり声を荒げることはどうしても『みっともない』という気があったので
面と向かって言い返す勇気がなく、SNSに遠回しに文句を上げたこともあります。
一番の親友だと思っていた人相手にも、結局そういう陰湿なやり方でしか自分の思いをぶちまける方法がわからず、今はもう少しやり方があったかなぁと思う反面
母に愛想をつかせた時のような諦めのような気もあったのも事実で
何をどうすれば良かったのかを問うのはもはやナンセンスなのかなぁと思わざるを得ません。
しかし、親友とも縁が切れて数年
私自身が、そういう人間を引き寄せていたのか?と、不思議になったのが、少し毒親問題がクリアになってきた最近やっと、という訳です。
私はこれまでそういう人を「毒人間」と表現をしてきましたが
「ハラスメント」つまり私の場合「モラハラ」という視点で、最近考えるようになりました。
きっかけはこの記事を読んでからです。
小島慶子さんが、アナウンサー時代何気なくかけていた言葉が、相手にとっては「ハラスメント」となっていたのだと気付かされたという一文です。
かつての元親友も、外面はいいし物腰も柔らかいので、周りからも「良い人」と評される人でした。
しかし、付き合ううちに喉に何かがつっかえるような、言い表せない不快感が増し
昔は楽しみだった彼女との長電話も、だんだんと着信音を聞くだけで嫌な気分になっていました。
けれども、私が毒親育ちのせいでしょうか。
『そんなこと親友相手に思うものじゃない』と、自分に言い聞かせていた部分があったことを最近ようやく認めることができました。
よくよく考えると、既に嫌いなのに『親のことを、悪く思うものじゃない』と、言い聞かせていた頃の気持ちにそっくりです。
そして「モラハラ 友達」等の検索ワードで見つけた記事を色々と見て
『完全に、私たちのことやん』と、かつての私と親友との関係性を重ねずにはいられませんでした。
これまで、彼女にされたことや言われたことで嫌だったことも散々このブログに上げてきましたが
結局、つまるところ、彼女にされていたことも、母親にされていたこととあまり変わらなかったんだと気がつきました。
そして、私がそれを不快に感じた時点で、立派な「ハラスメント」であったことにも…
私が親友に対して、今思えば卑怯だったよなぁと感じたことは
こちらが拾うか拾わないかくらいの、微妙なラインで人を見下したり、マウントを取るようなことを言ったりして
私がそれに反応すると「そういう意味で言ったんじゃない」とか
「何勝手に怒ってるの?」みたいな、まるでこちらが1人で鼻息を荒くしているような扱いをしてきたことです。
おそらく彼女自身も、私を友達として認め楽しく過ごす反面、自分のストレス発散に私を利用していたのだと思います。
「親友だから」と、彼女は甘えていたのだと思います。
『親友だから』と、許した私も私です。
この構図、どこかで見たことがあります。
「家族やねんから」母から言われて大っ嫌いだった言葉。
けれど私も『親だから』そう思って貴重な若い時間を、何年も無駄にしました。
毒親育ち特有の優しさが、仇となるのです。
結局「家族」「親子」を免罪符に、いいように親に扱われてきたこと同様
親友にも「親友」という言葉で、軽く見られ、見下げられていたのだと
今になればわかります。
そうでもしないと、生きて行けない親友もまた、気の毒でもあります。
それでも、元親友に対して感じることで母と違うところは
最後に喧嘩になった時、まだ私は軌道修正ができるならしたかったし
またいつか、笑い合える日が来るならいいのにとも、今でも思う訳です。
前も書いたけど、私は母に対してはできることは全てやったから
それでも伝わらなかったから
やるだけやって、だめだったから、きっぱり諦めはついた訳で
正直、母はいつ亡くなったっていいと思っているし、その日を夢見ているくらいです。
けれど、元親友に関しては、こんな形で縁が切れたままもう会うことはないのかと思うと、ふと悲しい気持ちになります。
私たちが好きだった漫画がドラマ化されたり
この曲、2人で聴いたら絶対に盛り上がってるいただろうなとか
この味、私は苦手だけど、きっと彼女はおいしいって言うだろうなとか
そんなことを思うと、このまま死んでしまったら悲しいなとは、思います。
彼女もまた、心が病んでいる人でした。
私の力では、もうどうすることもできないくらい、彼女の心の闇は深かったのです。
だからこそ、強く生きてほしいし、幸せにもなってほしいなと今は思います。
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