もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

偉そうなだけで、核心を突けていない

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からの続きです。

 

母からの理不尽な叱責を受け厳しく育てられた私は、自分は世間的には「ちゃんとしている」人間なのだと、ずっと思いたかったので(思わないと、自分の我慢が報われない気がした)

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自分の基準の「ちゃんとした」に勝手に囚われそれにあてはまらない人を正そうとする傾向も昔はありました。

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のちに私自身、毒親問題を昇華する中でだんだん「別にちゃんとしてなくても、いいんじゃないか」ということに色々と気が付き始めたのですが、同じように「ちゃんとしている」に私より強く囚われた友人に今度は「ちゃんとしていない」と貶される対象にされ、モラハラのはけ口にされているように感じたため縁を切りましたが自分もかつてそういう考えの持ち主だったので、気持ちもわかります。

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まぁ確かに、私はおおむね「ちゃんとした」人間ではあるのだろうけど、あれだけ厳しく育てられた私にも「ちゃんとできていない」ことがあるなと気が付いたのもまた、母と離れて暮らすようになってからでした。

 

それは、前にも少し書いたお金の価値観がよくわからない・金銭感覚が身についていないというところでした。

 

守銭奴の母からは「お金は大事」という言葉だけを聞かされ、いつも母が先回りをしてしまうので、私は「お金の運用方法」を教わる機会がありませんでした。

それが、1人で暮らすにあたりお金に苦しむ原因となって、借金こそしませんでしたが「あればあるだけ使ってしまっていたのだな」と30も過ぎて初めて気が付きました。

 

「お金って、使うと本当になくなるのだ」というのを身をもって感じた事がこれまでイマイチなかったのが原因だと思っていて、今思えば『あれは我慢できてたよなぁ』とか『もう少しやり方があったよなぁ』と、お金が無くなって初めて気が付くことも多々ありました。

 

唯一、母が守銭奴なため、節約の方法はわかっていたのと母はお金に関しては関西弁で言う「ええかっこしい」で、旅行やイベントでケチるのは良くない・出すときは出す!ということも聞いていたので、普段は私は良く言えば倹約家(悪く言えばケチ)ですが割り勘を渋るとか、会費とかをバックレるとか、そういうみっともないことを外ではしなかった(と、思う)のが救いかな、と思っています。

 

私はまず食費から削って行くタイプなので、一時期は質素なものしか食べてなくて「今日は、おごるよ」と言われてガ〇トのチキンステーキを食べた時に涙が出るほどおいしかったみたいな経験をつい数年前にしたこともあります(30代にもなって笑えないです)

いい歳になって、こういう経験をして初めて前回の「厳しく(理不尽に怒られて)言われたからって、できるようになる訳じゃない」の意味がわかった気がしたのでした。

 

確かに母はお金にシビアで、私が気に入って買った物にもいちいちイチャモンをつけては(多分本人にはその気はないだろうけど、私にはそう聞こえる)何でも「もったいない!」「無駄!」など偉そうに言っていましたが「どういう理由でもったいないのか」「何がどうなら無駄になるのか」「ではどうすればいいのか」は、ほとんど言われたことがないです。

毒親の、言い方だけが偉そうで、核心を突いた大事なことが言えていない典型でなはいでしょうか。

 

その時の機嫌や主観だけで「良い・悪い」と言われ、表面的に「お金は大事!」だけ言われても、じゃあ何をどうすれば?私のよくないところはどこなの?状態だった訳です。

 

そして、やはり一番大きかったのは、高校生の頃頑張ってバイトをしていましたが自分の働いたバイト代が9割徴収され積み立てられていたので、給与明細の額面で見るのみでは『あれくらい働けば、これが買えるほどの金額になるのだな』というお金の価値観を、身に付けようにも、付けることができなかったことだと思います。

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当時、雑誌でブランド物のアクセサリーやカバン等見ても、自分がどれくらい働かないとこういうものが買えないのか、体感としてわからないから目標を定めることもできないし、そこまで高価なものでなくプチ贅沢であっても、これだけ頑張ればこれだけのことができるのだ!という実体験もなかったので社会人になってからも働く意味も見出せずにいました。

しかし「使う楽しさ」を一度覚えてしまうと、あっという間にそのバランスが崩れ割と後先考えないで使ってしまう傾向があることにもいい歳になってから気が付きました。

 

確かに9割徴収されたバイト代は短大の奨学金返済にあてるため貯蓄されていたので、返済に困ることはなく結果オーライだったのでしょうが、一方的に「バイト代9割は、口座に入れて奨学金の返済に充てるから」と決定=あんたは何も知らなくていいというやり方は私にとって最善であったか?は疑問が残ります。

 

やり方には向き不向きがあると思いますけど、ああいう一方的なやり方は私には合っていなかったと思います(性格的に「とりあえず」とか「何となく」ではなく、納得してからじゃないとやる気にならないからです)

 

確かに厳しく言うことも大切ですが、母はただ力ずくで「そう思わせていた」「従わせていた」だけだったので、私の場合お金の価値観が身に付かなかった件に関してはむやみに厳しくしたからと言って、スキルが身に付く訳ではないことの最たる証明かと思います。

 

自分である程度やってみて、失敗や試行錯誤をしてから「なぜ」「どうすれば」をアドバイスしないといくら厳しく怒鳴ったり怒ったりしたって、わからないこともあります。私は母のこういう「一歩通行」が大嫌いです。

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↓の記事で書いた、寝坊についても同じです。

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そして、具体的に教わっていないからできないのに、できない私をバカにして、貶すところも大嫌いです。 

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本来若い頃に学習すべきであった、これくらい働いたらこれくらいのことができる、だから節約する・頑張って働く…するとまた、これだけのものが買える!こういう生活ができる!という「お金の運用の基本」を実感しながら「納得をする」ことで、その頃の「生き直し」を、やっと今やっているところです。

 

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