母は何か買ってきてとか、どこかに連れて行ってとか、とにかくすぐ「娘に頼もう」「娘にやらせよう」という姿勢のくせに、あげた物を大切にしなかったり「こんなもんいらん」と言ったり(喧嘩の拍子と言えどそれが娘に言う言葉か…)
出掛けても、自分の思ってたのと違うと文句だけは言うので
昔は私も色々と母に尽くしていましたが(機嫌を損ねられると嫌なので)だんだん馬鹿らしくなって、頼まれてもやりたくないことは極力断り、お土産やプレゼントも一切渡さないことにしています。
自分から頼んでおいて、気に入らないと文句ばかり言う事もですが、もう1つ母の嫌いなところは、せっかくそうやって何かをあげたり、やってあげても、全然覚えてないのです。
教えたこととかも何も吸収していなくて、私たちの隣で一体何を考えていたのかと情けなくなります。
最近母は、年を取ったことと体調がよくないことを言い訳に、1人で何もできないことを自分で擁護しています。
多少の衰えや不調があったにせよ、もう少し自分でやってみようとする努力とか、娘に気を遣うことを早い段階から気付いてやっていれば、娘にここまで拒絶されない未来も待っていたと思うし、私自身も母を本当に嫌いになるのが嫌で、家を出る前にも何度も忠告しました(結局私の話には耳を傾けなかったので、母にはそこで見切りをつけました)
それを母も薄々気が付いてるのかも知れません。
だから見苦しい言い訳をするのかな、とも。
母が友人もいないし、作る気もなさそうだったので『このままではやばいな』と思い(今後もずっと母のご機嫌取りに付き合わされるのはごめんだと本気で思った)実家に居た頃、だいぶ色々と「1人遊び」の方法も、教えたつもりでした。
母自身も「色々教えて」と言っていたので。
最初から1人でできないのは仕方ないから、電車に乗ったり、飲食店に行ったり、色んなお店に立ち寄ったりを一緒にやることで、老後友人が居なくとも、また娘に付き添ってもらわなくても「こういうふうにやればいいんだ」というお手本になると思っていました。
しかし母は何も吸収していなかったのです。
と言うか、覚える気なんて始めからなかったのだと思います。
あれだけ横柄な態度を取っておいて、結局このザマ(1人では人並程度のこともできない)か、情けな…というのが私の今の本音です。
文句だけはいっぱしに言っておいて…
こちらが思うほど母は気持ちが入ってなかったことがわかったのが、最近やっとというのも腹が立つのですが、こういうことを考えていて、またひとつ気がついたことがあります。
例えば旅行等の思い出話になっても、母って「あれがおいしかったね」とか「景色がきれいだったね」とかではなく「あの時母さん、足くじいてなぁ!」とか「藤の花の花粉で鼻炎になって!」だとか自分が大変な目に遭ったことばかり昨日のことのように語ります。
前にも書いたけど引き出しが人よりだいぶ少ない上に、異常なネガティブ思考だから
「しんどかった」「お金もったいなかった」「おいしくなかった」みたいな思い出しか出てこないのだと思います。
前も書いた、私が外食しても「外食=高い・もったいない」というのが先にくるから
『〇〇を食べてきた』と言っても「何ていうお店?」「どこにあるの?」とかよりもまず開口一番「いくらかかったん?」に、似ているかな。
こんな調子なので、私と昔ランチや買い物に行ったことも、あの店何ていう名前だったかな?とか、あの時食べたあれおいしかったねとか言っても「わからん」「知らん」
挙句の果てに「そんなん行ったか?」
私が母が機嫌を悪くしないよう、細心の注意を払い付き合ってきたあの時間、大体こんな感じ。
殴ったろかと思うときあります、正直。
そのくせ「あの〇〇で買ってあげた服どこやったん?高かったやつ!」とか、そんなことはよく覚えてるんですよね。
行った映画も、地上波で放送されたら『これ面白かったよね』『見に行ったよね』と話すけど「行ったっけ?」「母さんも居た?」この調子なので、約2時間口をきかなくて済む映画ですら母とは行きたくなくなりました。
私はどこかに行って、食事がおいしかったとか、景色がきれいだったとか、写真や言葉で表現できることももちろんですが、その時の楽しい雰囲気とか、自然の空気のにおいみたいな、言葉では言い表せないこともたくさん覚えています(もちろん、1回の旅行でたいてい1回は母の機嫌が悪くなってたから、それも忘れてはいません)
味にうるさい母なので、比較的「おいしかった」ことはまだギリギリ話が通じますが、どこで、誰と、どんな雰囲気で…とかいうのは全く覚えていないのだと思います。
そういうのを、思いを馳せてなつかしむ…みたいなのも、そう言えば母はないです。
確実に母も居たのに「ふーん」と、まるで他人の話を聞いているかのような返し。
私が幼い頃の家族旅行の話をしても母は「よ~覚えとんなぁ」と、まるで他人ごとのように言います。
これは思い出してみると、昔からです。
一体、何を考えて母は生きていたのだろう。
例のごとく食事の献立のことと、金の計算しかしていなかったのでしょうかね。
あとは、おそらく「自分を今、とりあえず楽しませろ」「自分の機嫌を損ねない、最高のおもてなしをしろ」って感じだったのかな。
こんな母を持ったこと、心の底から情けなく感じます。
あの時に毒親に割いた時間と気持ち返してくれ…って、毒親育ちの切なる願いではありませんか?
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