もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

新しい職場で感じたこと

20年以上前の曲で「誰より好きなのに」という曲があります。

アーティスト名は古内東子さん。

私が中学生の頃、よくラジオ等でも耳にしていました。

以下、この曲のサビの歌詞です。

 

 " やさしくされると切なくなる

 冷たくされると泣きたくなる

 

 追いかけられると逃げたくなる

 背を向けられると不安になる "

  

この曲は好きな人が好きで仕方ない、でも素直になれないという気持ちを歌っているのだと解釈しています。

私は中学生の頃聴いていたので、当時の私にはこの歌詞の意味もよくわからず『どっちやねん!』『好きなら好きで、ええやん!』としか思わなかったけど

 

最近ふと、この歌詞を思い出して今の私の心情に似ているなぁと思いました。

と言っても、この曲のような恋愛感情ではないのですが。

 

最近、また新しい事務の仕事を始めて、9月頭から働いています。

 
作業としては「誰がやっても出来栄えは同じような単調な作業」ばかりですが、その方が気負いせず取り組めるのですごく助かっています。

仕事内容が自分に合っているのはもちろん、かなり忙しい会社なのに誰一人暴言を吐いたり、イライラしている人がいない、また私にも優しい言葉をかけてくれるのが大きな心の支えになっています。

久しぶりに『良い会社見つけた』『当たり!』といった感じ。

(これはけしてふざけているのではなく、母から植え付けられた「ちゃんと働いてないと人間としてだめ」みたいな極端な考え方を払拭すべく、意識的にそれくらいの気持ちで取り組むようにしているという意味です)

 

もしかすると、また、状況は変わるかも知れないし

繁忙期が過ぎ今の激務が終わると、契約を切られる可能性もあるけど

私はもう、自分の性格的にもスキル的にも、同じところで長く働くということは諦めているので「働いている期間、そこそこ心地よく勤務できるか」に重きを置き

とりあえずは先のことは考えず、今できることを精一杯しようという気持ちで過ごしています。

なので、体力的には結構ハードですが、精神的にはわりと楽に働けています。

 

しかし、ここで一筋縄では行かないのが、毒親育ちだからなのか…

だんだん、何か『そんなに優しくされてもつらい』みたいな気分になるんですよね。

言葉にするの、難しいんですが。

 

おかしいですよね、酷い扱いを受けると潰れるから(実際、何度も職場で心が折れて潰れてきた)穏やかな気持ちで働けそうな職場を探していたのに

いざ温かく迎えてもらえると『ぬるいんじゃないか』『甘えてるんじゃないのか』『本当にこんなんでいいのか』みたいな感情が現れるんです。

 

私は何年も母の考え方を基準に、辛いことも『辛い』と言わず、思わないようにして

" なにくそ精神 " でやってきて、それを " 強さ " " 独立 " " 一人前 " とかと、混同していた部分があり、それを見抜けなかったがためにある日プツンと糸が切れてしまって、仕事も何もできなくなった過去があります。

tari97.hatenablog.com

そこから、まずは自分が嫌か嫌でないか、やりたいかやりたくないか、好きか嫌いか

そういう当たり前の選択をしていく練習をして

自分の気持ちに嘘をつかないことの大切さを何年もかけて考えてきました。

tari97.hatenablog.com

けれどおそらく、主語が「母」の、自分の感情を押し殺して過ごす時間があまりにも長すぎたのか

家を出てたった数年で『変われた!』と思うほど、簡単な話でもありませんでした。

 

DV被害者が、別の人の元に行ってもまた同じような人を選んでしまう、それは攻撃的な人といる方が安心してしまうからみたいなことを聞いたことがありますが

私の母及びそれに似たモラハラ人間に対する気持ちも、似た感覚があるのかも知れません。

もちろん、今はもうすっかり偉そうな態度やきつい口調の人には免疫がなくなってしまったし、またああいう人と居たいなんて絶対に思わないのですが

一番長く一緒に過ごす家族(母)に、偉そうな口調で厳しいことを言われるのが私の人生ではデフォルトだったし、優しくされ慣れていないから

優しい言葉をかけてもらっても「どうすればいいかわからない」状態になってしまうのです。

毎日、母に「たり」と呼ばれるだけで『何!?また何か怒られる!?』と、防衛反応が出てしまうような家で暮らしてきたから、仕方ないと言えば仕方ないのかも知れませんが…

 

毎日、職場では温かい言葉をかけてもらって『ありがたいなぁ』と、心から思うのですが

その一方で『何か裏があるんじゃないか・本当はそんなこと思ってないんじゃないのか』とか思うことも多々あり

おそらくこれは自己肯定感が異様に低いせいで『こんな自分が本当に必要とされる訳ない』みたいな気持ちが根底にあるからだと思います。

ならいっそのこと、もっとクールに接してくれよと思ってみたり

けれど実際の周りの優しい言葉や態度を噛み締めながら帰ったり

自分でも感情の日陰と日なたを行ったり来たり

何で素直に『私は必要とされている!』と胸を張って思えないのだろう…ずっと日なたに居たっていいのに。と悲しくなります。

好き好んで日陰に行っている訳ではないのですが、日陰に居た時間が長すぎて、他の人なら何とも思わない日なたの光すら、私にはきっと眩しすぎるのでしょう。

 

そんな時に、さっきの曲を思い出したのでした。

自分でも本当、めんどくさい。

まさに『どっちやねん!』状態。

 

最近はこういう、対人関係で味わう、自分が招いているめんどくささも「心のリハビリ期間」と前向きに捉えるようにはしていますが、やはり疲れます…。

 

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