もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

強く根付いた思想を変えて行きたい

親のことを「毒親だったのだな」と認める作業(私の場合、親友を「あれはモラハラだったな」と認めるのも同じ作業でした)をすると、昔言われて『おかしくない?』と、モヤっとした発言に対しても、おかしいと感じた私の感情は間違えていなかったのだなと確信を持つことができます。

これは私はすごく良い作業だと思っていて、できるだけ思い出したことに関してはじっくりと時間をかけて考えてみようと思っています(しんどいですけどね🥺)

 

母には昔から「たりは " 何で? " が多い!(ので、めんどくさい)」「しつこい!」「理屈っぽい!」とかよく言われていて

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その言葉を鵜呑みにして『自分は理屈っぽく、面倒な人間なんだろうな』と本気で思っていたし、長年の刷り込みのせいで、相手が言い返してきたりすると『多分、私のこういうところが面倒なんだろうな』『だから、言い返されるのだろうな』と、納得行かなくてもそこで引き下がり自己完結させる癖がありました。

癖と言うか、あの母と暮らすにはそうしないと過ごせなかったし、そういう技を身につけたと言うよりかは、身につけなければならなかっただけですが。

 

母にそういうセリフを言われるのは日常茶飯事でしたが、たまに友達や職場の人にそういうことを言われたのは鮮明に覚えています。

 

また元親友Mの話で恐縮ですが(Mの件はこの記事にあります⇩)

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Mがまだ結婚する前1人暮らしの家にも何度かお邪魔したことがあって、泊まらせてもらった時は食器を洗ったり、私にできそうな手伝いはするようにしていました。

 

Mは結構変なこだわりがあるので(多分そのこだわりで自分を苦しめているんじゃないかと思ったことも)食器を洗う時も私が普段家でやる時よりも気をつけて、丁寧に洗うようにしていました。

ある時、お茶をいれるポット(急須)を洗っていたのですが、私は普段ポットはお湯ですすぐのみ(茶渋がついたら漂白剤をする)なのでMの家でもそうしようとするとMが何か言いたげだったので『洗剤で洗う?』と、確認しました。

M「そうやな。いつもたりは水洗いなん?」

た『うん、私はお湯洗い。じゃあ洗剤つけるわ』

ここまではまぁわかるとして

Mにもう一言「そんなんやからあかんねん」と言われました。

半分、ひとりごとのような聞こえるか聞こえないかくらいの声だったので、私も特に言い返すこともなくスルーしました。 

けど、私はその「そんなんやからあかんねん」が、何年もずっと引っかかっていました。

しかし、その程度の言葉ひとつが引っかかっている時点でおそらくまた私は理屈っぽいんだろうな。めんどくさい人間なんだろうな。とも思い、何年もモヤっとしたことに目をつぶって暮らして来ました。

 

ブログを書き始め色々なことと向き合う中で、母の数々の酷い言葉は言うまでもないですが、Mやその他私を下に見ているような態度の人たちに関しても、ああいうカチンとくる一言が私の心にいくつも刺さっていたのだろうと気がつきました。

もちろん、私が何か言って相手を傷つけ、私が気がついていないこともあると思いますが。

 

そもそもMとは距離感が近すぎたことや、精神的な境界線をうまく保てていなかったことも仲たがいの原因とは思っているので、ここでこうやって書くのはMの言動を晒し上げたい訳ではなく、そういうことに気付いていく訓練をして行きたいな、という具体的な例として挙げています(たまたまMのネタが多いのは、単に私に友人が少ないせいです)

 

別に私の家のポットがお湯ですすぐのみでもMには何も被害はないし「汚いなー」と感じても私の習慣にわざわざそうやって「良い・悪い」の判断は、しなくて良いと思います。

 

また、Mのように来客中にたった1回、友人が自分とは違うやり方で食器を洗ったからって「私はあなたと違って、こうします」と主張するより、手伝ってくれたことにまず「ありがとう」と言える人間に私はなりたいです。

 

Mはかなり神経質なところがあったので、ハッキリ言って「ま、いっか」(気になるなら後でこっそり洗えばいいし)で済ませられない性分もどうかと思っていたし『Mは細かい部分が気になるんやろけど、だからしんどいんと違う?』って思う事は他にもたくさんありました。まぁそこは人それぞれですからね。私が心で思うのは勝手ですが、本人に言うことではありません。

 

その「本人にわざわざ言うことではない」ことを、毒親やモラ人間は言わないと気が済まない・言って何が悪い?・何なら親切で言ってやってるなので😅

そういう人と過ごしていると、言われるのが当たり前になっているし『言われる私に問題があるのだろうな』くらいに、本気で思ってしまうし、逆にこちらが言いたいことがあっても言えない状況に陥っていることも多々あるのです。

それがだんだんと「ナメられる」「下に見られる」原因になるのでしょう。

 

まずはそういう部分をなくしていけたらいいなと日々考えています。

そういう意味で、昔言われてあれは嫌だったなぁとか、確かに思い出して不快だけど『言われて当たり前、ではなかったよなぁ』という確認をするようにしています。

また、言われっぱなしにならないよう、今は思ったことを少し言ったくらいで人はさほど気にしていないというのを、練習がてら実践しているところです。

 

何でもかんでも反論したり思ったことを口に出すのも違いますが、自分を押し殺してまで相手に合わせるのも違うと思います。この塩梅は未だに難しく、これからも課題になりそうです。

 

スター・コメントありがとうございます。

コメントについてはこちらにまとめています。

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