もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

大丈夫?って言われたかった

今の職場では、夕方になるとみんなの飲んだカップを気がついた人が回収して洗ってくれるのですが、昨日集めてくれた方が転びそうになり、ガチャン!と大きな音を立ててびっくり😲という場面があって、口々に「大丈夫?」「ケガしてない?」と皆が声を掛けていました。

…こんな当たり前の光景に、またふと悲しい気持ちになりました。

 

私は、幼い頃から友達に「ありがとう」「ごめんね」を言うのがとても苦手で、いざ言おうとしても照れ臭いような気分になり、何でみんなそんなにさらっと「ありがとう」「ごめんね」を言えるのか不思議でした。

 

異様に人の顔色をうかがう癖があるので、職場などで表面的な「ありがとうございます」「すみません」は(場繋ぎ的に)言えますが、友達同士でも日常的に「ありがとう」「ごめんね」をみんながこんなに多用するのかと社会に出てから驚いたものです。

 

おそらくこれは、昔からうちではそもそもそういうやり取りがなかったし、母も子どもに対して「ありがとう」「ごめんね」等、ちょっとしたことでも絶対に言わない人だったので手本となる人が家におらず、単純に「身につける機会がなかった」のだと思っています。

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そして「ありがとう」「ごめんね」は、そのうち言えるようにはなったものの、未だにどうしても咄嗟に口から出すことができない言葉が「大丈夫?」です。

 

私は母に「大丈夫?」と言われたことなんてほとんどないので、冒頭に書いたようなこと(転んだり、食器を割ってしまった時など)に「大丈夫?」「ケガしてない?」なんて、家で言われたこともほぼありません。

まず何か失敗すると母に鬼の首を取ったようになじられ、場合によっては長時間の説教・不機嫌に繋がるので何か失敗したり不調があっても母からの攻撃を最小限に抑えることがいつも最優先でした。

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世間ではそれが当たり前だとずっと思っていたし、そういう人が周りには結構居るのではないか?と思う癖がなかなか抜けないのです。

 

なので、失敗をしたり体に不調があっても相手に心配される前に・迷惑がられる前に最小限で処理せねば!というのが、しみついてしまっているのです。

どうしても『心配をかけてはいけない!』『迷惑をかけてはいけない!』が、真っ先に出てきてしまうのです。

後で冷静に考えたら『人の失敗をみんな迷惑だとか思ってないんだ』とは頭ではわかるのですが「ありがとう」「ごめんね」よりも、このハードルは相当高いです。

 

なので、失敗をした相手にも自然に「大丈夫?」「ケガしてない?」等が出る前に『 " あなたの失敗を迷惑とか、思ってないですよ。私は怒ってないですよ。感 " を出さないと!』ということに意識が行ってしまい、無表情&無言で、かたまってしまうのです。

昨日がまさにそうでした。

転びそうになった職場の人を心配するより『カップが割れたんじゃないのか?=皆に怒られるんじゃないのか?』の心配が先に浮かんでしまって、1人で勝手にビビってしまい、周りの「大丈夫?」「ケガしてない?」の声で『あ、そっちか』『そっか、カップごときでそんなに皆怒らんわな』と我に返りそのうちに騒ぎは終了していた、みたいな…

母から失敗をなじられたトラウマが大きすぎて、相手の心配の前に、誰かが怒り出さないか?が真っ先に気になってしまうのです。

 

実際、人が失敗をした時に「大丈夫?」「ケガしてない?」という声掛けをするのが一般的なんだ…と気がついたのも、本当にごく最近のことです。

 

そういうことを自然に言える人って、家でもそういう声かけをしてもらえたのかな?と思うとまた何とも言えない気持ちになり

ドラマでそういうシーンを見ると、人格を否定されるほどに失敗をなじられ、こんこんと責められた過去の自分がみじめでかわいそうで、時々泣いてしまいます。

 

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