どこの世界にも、ルールや時間を守らないとか協調性のない人は居て、周りからも強く言いづらい・言い返されたくない・職場だと辞められても困るなどの理由で放置され、結局そういう人がのさばり、言ったもん勝ち・やったもん勝ちになる風潮は少なからずあると思います。
私はこういう風潮が苦手で、以前、知り合いとこういう話をしていた時に「そういうやつってどこにでもいるよね」「たりさんが真面目なのも、よくわかるよ」
と、知り合いが言ったかと思うと
「でもね、そういうのが気になる人って、結局自分がやりたいからでしょ」「やりたいけど自分ができないから腹立つんでしょ」と、言われました。
…?
しばらく考えてみたけど、ぴんとこない。
例えば、ものを元の場所に戻さなかったり、所定の場所以外にゴミを捨てたり、時間や期限を守らなかったり…
こういうことを『私は、本当はやりたいんだけど我慢しているのか?』とかなり長い時間考えてみたけど、全然違う。
「場所が決められている以上そこに仕舞う・捨てる」「時間や期限が決まっている以上、それを守る」
ただ、それを守るのが人として、社会人として当然なのでは?と思うだけの話でそれ以上でも以下でもない。
私はご存知の通り「気にしぃ」なのでかなり我慢をするタイプではあるけど、職場であまりにマナー等が酷い時なんかは上司にかけあうこともあります。
それは、皆が快適に過ごしたり、効率を高めたり、ケガのないようにこうしては?という提案なだけで『自分だってやりたいのにできないから!(上司に言ってやる!)』つもりなんて、毛頭ありません。
そんな低レベルな話ではなく、ただもう少し気がつく人が増えればいいな・意味の無いしばりなら、なくしたら?というだけの話なのですが…そこを履き違える人の多いこと。
こういう風潮(特に職場において)がすごく嫌いです。
「次からこうしましょう!」という、たったそれだけの共有を、なぜすんなりとできないのか?と、不思議に思います。
結局、できない人・気のつかない人の言い訳ではないの?
バシッとものを言えないけれど、自分の立場だけは守りたい人が自分擁護しているだけでは?等々、思ってしまうのです。
まぁそもそも、一番の癌は「協調性を乱す」人なのですが、この「協調性を乱す」ことへの異常な嫌悪感の先には、おそらく毒母の存在があると思っています。
うちの場合、まさに母が「触らぬ神に祟りなし」的存在だったので
娘たちは言いたい事も言えず、感情も露わにできず過ごしてきました。
まさに私の家では、母の言ったもん勝ち・やったもん勝ち状態だった訳です。
だから私はそういう人に嫌悪感を抱くし、軽蔑します。
家族とは名ばかりに、母にはこういう、自分さえよければいい・自分がやりたければ押し付ける等の協調性のなさが大いにあり
話し合ったって「そういうこともあるのね」「では次からこうしましょう」が一切ありませんでした。
「なんでアカンの」「ええやん、これくらい」が母の口癖。聞く耳なんて絶対に持ちません。
だから私は、より良くするために、建設的に話のできない人が嫌いなんだと思います。
冒頭の知り合いに「結局自分がやりたいからでしょ」「やりたいけど自分ができないから腹立つんでしょ」と、言われた瞬間、あ~…話の論点がずれる人だ…と、嫌い認定してしまいました。
大して濃い絡みをする人でもなく、多分もう会うか会わないかわからんぐらいの間柄なのが幸いですが…
色んな職場を転々としたからわかるのですが、会社においても事なかれ主義でそういうやつを野放しにしておくか、そういうことがあるんですね。ちょっと考えますねと、問題提起してくれるかで会社の雰囲気は大きく違うと感じます。
結局、職場でも家でも同じことが言えるのでは?と思います。
私の家はもちろん母の独裁国家だったのでアウトでしたが、居心地が悪かった職場を思い起こしてみると…合点がいく気もします。
職場のことについても、また書けたら書きます。
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