もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

SNS断捨離

SNSアカウントは持っていますが、数年前に投稿するのはやめました。

そのすぐ後に、突然思い立って全ての投稿を削除しました。

趣味の情報収集のためにアカウントは消していませんが、それ以来鍵も掛けたままフォロー申請も受け付けていません。

 

アカウントを作成したのがちょうど家を出る前の年で生きてて一番しんどい時期だったし、元親友と縁が切れた原因もこれでした。

結局、何のためらいもなく削除できたのは、愛着がわかなかった この一言に尽きます。

始めたタイミングが悪かったのもあるけど、投稿された数々の言葉なり表現が、自分の素直な気持ちではなかったというのも大きいと思います。

 

別に話を盛ったり嘘は書いていませんでしたが『他人にどう思われるか?』といつもビクビクしていたし、結局鍵をかけたりで、ふと私は一体誰のためにこれやってるんだろう?と。

ここまで人の目を気にする者が正体を明かしてまで投稿するのはちぐはぐじゃないか?と思ったのも辞めた理由の一つ(本名でやったり顔出ししていた訳ではないですが、周りの友達には私のアカウントとして認知された状態)

HSP気質のせいで投稿するまでも何度も書いては消して気軽に投稿もできないし…

もちろんライブの思い出や楽しい投稿は消すのは抵抗があったけど、写真は手元にあるし覚えておきたいことはわざわざ投稿に頼らなくても記憶にきちんと残っています。

 

その教訓をいかしてこのブログは匿名でやることを決めました。

親が嫌いと正直に話している友人には親が嫌いすぎてブログ書いてるよと話したこともあるけど、何ていうブログ?と聞かれても絶対に答えません。

もし何かの拍子でブログを読んでこれたりのことじゃない?と思うのがあれば聞いてくれたらその時は答えるよとだけ言ってます。

 

前にも書いたようにこのブログには嘘偽りはひとつもありません。

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自分の醜い部分、汚い部分も全て素直にさらけ出しています。

時々汚い言葉になることもあるけど、それも正直な気持ちです。

 

最近、色んなSNSを見ていると、あることがわかるようになってきました。

いかにも愚痴や日常の何気ないことを書いているように見せかけてマウント取ってるんだろうな、自慢しているんだろうなというニュアンスです。

あからさまに高いものを載せるとかそういうことではなくて。

何でわかるかって、自分も昔そうだったから。

 

自分の投稿を全削除する前にかなり古いものも一応目を通したのですが、こういうことを純粋に投稿したい!ではなくてほとんどの投稿がこういう投稿によりこう見られたいという気持ちの表れだったのだろうなと感じました。

時々それで遠回しに自慢したろ!という気持ちも確かにありました。

書いていた当時はそんなこと全く思っていないつもりでしたが(いや、薄々わかってはいたけど目を背けていた)

このブログを書いて自分の弱いところやコンプレックスなどと向き合った後に読み返すと当時の自分の本当の気持ちを見透かすような、そんな感覚でした。

だから他人の『無理して書いているんだろうな』『純粋に楽しく投稿してなさそうだな』というのが何となくわかるんです。

 

確かにSNSで人との出会いも助けられたこともあったけど、私には残しておきたいというほどの価値は感じませんでした。

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今部屋のものをどんどん減らしているところですが、愛着がわかないと大切にしようと思えないのはSNSも同じですね。

良い顔になった、らしい

母と同じ職場で働いていた頃、もうこの会社で働くのも限界だなと感じ退職を決めましたが、もちろんあのうるさい母のことなので退職には反対していました。

私に『やっぱり退職するのやめるわ』と言わせたかったのだと思います。

幼い頃から何でもそうやって母が気に入らないことはしつこく言えば娘は『もうわかったから』と、折れてきましたからね。

 

退職までの日々、毎日母からの小言は死ぬほど鬱陶しかったけど、既に私は家を出ていたので『とりあえず(職場で顔を合わせても)私には母から逃げられる家がある』ということが自信になっていたし『何とでも言え』と思い、聞き流すことができていました。

 

昔、家族旅行を気乗りしないから行かないと言っただけで(もう私も20代も半ばになっていたのに)「なんでや」「行かんかったら後悔するで」「ほんまに行かへんのやな」「(行かへんなんて)ほんまこの子アホやわ」などと、出発する寸前まで言っていましたが、まさにそれと同じ状態でした。

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その後数年経ってから母に「たりは相当あの会社が嫌いやってんな」と言われたので『急に何で?』と聞くと、どうやら母の同僚から「今だから言うけど、たりちゃんが会社辞めるって言った後、顔つきが変わったもんね。表情がパッと明るくなって…よっぽどこの会社嫌やったんやね(笑)」と言われたそう。

表情を見抜いたその人は、前々から『この人は人の気持ちを察するのがうまいだろうな』と私も警戒していた人だったのでわかる人にはわかるのだろうなと思いました。

ちなみに、母からは私の顔つきを見て「元気ないね」とか「何かあった?」みたいな声掛けなど1度もされたことありません。

脅すみたいにしんどいのか、機嫌が悪いのか、何か気に入らんことでもあんのか等と聞かれたことはありますが。

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私はいつも気難しい表情をしている自覚はあるので全然そんなことないのに怖いとか怒ってる?とかよく言われるのにももう慣れましたが

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そんな私が、たったそれだけのこと(会社を辞めること)で見る人が見ればわかるほど表情が緩んだあたり、潜在的な感情は無意識レベルで見た目に表れるものなのかもしれません。

 

先日、メイン職場でたまに雑談するおじさんから「前から聞きたかったんだけど春(3月末)に一度契約が終わってまた夏から来られましたよね。その数ヶ月にたりさん何か良いことありましたか?」と言われたんです。

そのおじさんも少し変わった人で、私と波長が合う人なんです。

人を見る目というか、見えない何かを見抜く独特のセンスがあるのだろうなというのも前から感じていた人です。

 

昨年は国をあげてのステイホーム期間と無職期間が重なったから気持ちも楽でしたが、さすがに2年目の春も趣味のイベントは軒並み中止、友達にもまともに会えないとなるとちょっと塞ぎ込んでしまって

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お金が苦しいから早く働きたい反面、メイン職場への復帰もあまり気乗りしていませんでした。

ヘアスタイルやカラー、メイク、ネイルも最低限のケアのみで特にイメチェンだとか変わったことはしていません。

変わったところと言えばここ1年くらいで2~3キロ太ってしまったくらい。

答えに困り『前と比べてだいぶ太りましたよ』と言うと、おじさんいわく「うーん、そういう見た目の問題でなくて」「たりさんの雰囲気が(良い意味で)すごく変わった」と。

 

単純に足掛け3年も居たら職場に慣れてきたというのはあります。

『ここの空気に慣れてきたんちゃいますかね』と言うと「慣れるの遅っ!」と笑われましたが

「でもほんと、パッと表情が明るくなった、良い顔してる」と言っておじさんは仕事に戻りました。

 

本当に、思い当たる節なんてないけど、挙げるとすれば自分のペースで日々暮らせているというのが一番の理由だと思います。

 

家に帰れば誰の顔色もうかがうことなく、好きな時に好きなことをやれて…こんな当たり前のことをアラサーになり初めてできるようになり、数年経った今でも毎日そのありがたみを噛みしめて暮らしています。

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仕事も1箇所にどっぷりはまらず、いい距離感で掛け持ちもできています。

 

自分で『メンタルが安定しているぞ』なんて感じないですが、人が見てどう感じたかが一番の答えなのかもしれません。

 

読者登録、スター、コメントありがとうございます。

架空の声を作り出す正体

この間、仕事中にあるお店にイベント案内のチラシを持って行った時のこと(副業のほうは色んなお店とのやり取りがあります)

夏休みの子ども向けイベントなので当然ながら「うちは子どもなんて来ません(要らない)」というお店もあって、食いつきがよければこちらも詳しく説明しますが、乗り気でなさそうなら説明もそこそこにしていました。

あるお店の女性オーナーも反応がうすかったので『よかったらご参加お願いします』と言って出て行こうとすると、それはそうと…と別件を話し始めました。

店の補修について○○さんに聞いてたんだけど…とのことでしたが、○○さんはお休みだったので『○○本日不在ですので伝えておきます』と言うと、○○さんはこのこときちんと把握されてるの?とちょっとイラっとしているように見えました。

その時咄嗟に『うわぁ…「こんなイベントのチラシよりもっと大事なことあるやろ」って思われてそう~…』と思ったのですが『いやいや、そんなこと一言も言ってないからw』と自分で自分に突っ込みました。

相手の顔色をうかがって生きてきた人のあるあるかなと思いますが、すぐにこういう「相手はこう思ってそう」なセリフを勝手に考えてしまいます。

これもまた最近気が付いた私の癖です。

 

仕事を教える時、私の独断でやっていること(ということは大したルールもなくやりやすいようにやれば良い程度のこと)も『もし上の人に何か言われたら、たりさんがそうしろって言ってたって言ってくれればいいから』とわざわざ言っていたことも前に書きました。

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仕事を教えた相手が何か言われたらかわいそうだから…と思ってのことでしたが、誰かに何か言われてから考えれば良いこと。

そこまで先回りしている自分が滑稽に思えました。

 

頼まれた仕事を終え、相手も「ありがとう」と言うのでそれで終わればいいものを『何か間違ってたりしたら言ってください』も無意識で言っていました。

その業務に関してはそもそも最後までうまく処理ができていたら間違えているはずがないので、後になって考えると大げさ過ぎて逆に嫌味のような気も。

 

一見相手を気遣っているように見えますが、これは何かあった時のために予防線を張っているだけです。

その「何か」は相手に怒られるかどうか

職場の人や友達にそこまで気構えしないといけない程、実際怒られたことあるか?と考えたら…無駄なことだとわかるんですが

小さい頃から家で色んなパターンを用意しておかないと怒られる!とずっと考えて生きて来た後遺症だと思っています。

何をやっても結果は「悪い」か「良くない」だろう、どうせ私のやることだから…

そう思う癖がそういうセリフを言ったり、相手はきっとこう思っているだろうと深読みしてしまう原因だと思っています。

 

母は言うことに一貫性がないので前は笑って聞いていたのに今日はブチ切れられたなんてことは数えきれない程あります。

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母の筋の通ったポリシーなんて数えるほどで、大体はその時の機嫌の良し悪しで言うことがコロコロ変わります。

『前は良いって言ったやん』『母さんだってやってるやん』

そう思うことなんてごまんとありましたが、そんなこと言おうものなら「口ごたえすんな!」「親の言うこと黙って聞け!」ですからね。話になりません。

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他にも『こう言われたらこう返す』と先々のやり取りを延々考える癖や

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怒られた時の心の準備をしている、と前に書いたのも似たようなことなのかも。

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前に「いらなかったら捨てて」とか、こちらの気持ちを汲む声掛けが尋常じゃないレベルの人がいて『この人もしかして毒親育ちかな』とシンパシーを感じた人がいました。

後で打ち解けた時、無礼を承知で聞いたところ「何で私が毒親育ちってわかったんですか」と驚かれたけど、シンプルに私の周りで姉以外にそんなに相手の気持ちに先回りして話している人なんていないんでね…。

うちでは当たり前だったことが、いかに世間一般では普通のことではなかったか…

 

母に対しては、何が正解で何が間違いかなんてわからないから攻略法すらないんです。

だから張れるだけの予防線を張っておく、みたいな感じだったのでしょう。

 

実際聞こえた言葉だけに対応する。

それだけでも世間では怒って来る人なんていないことを肌で感じて学習しているところです。

 

コメント、スターありがとうございます。