もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

毒親は自分に都合よく解釈する天才

母にとって娘は自分の話(9割愚痴や悪口)を聞かせるゴミ箱のような存在で、その上母の思い通りの返しがないとキレるので私も姉も幼い頃からどう返せば母が喜ぶか、また怒られなくて済むか…そんなことしか考えていませんでした。

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家族団欒とは名ばかりで、夕食時は大体が母の会社の人の愚痴か親戚の悪口のワンマンショー。それはまだましな方で虫の居所が悪ければブチ切れて食事中であろうと説教が始まります。

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まだ、へぇ~と思うようなためになりそうな話ならともかく、母から聞いてためになったなという話ってあったかな?と最近姉とも話したんですけどほとんどないよな…という結論に至りました。

 

母の為にまるで接待かのごとく、ヨイショして励まして慰めて…をしていましたが母は家族の話すことも興味がないと平気で「興味ない」みたいな態度を出します。

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それ、娘が同じことしてたら確実に「人の話ちゃんと聞かんかい!」とブチ切れてますよね?と思うんですが。

だから母に相談するのも嫌いだったし、立ち入った話もできるだけ母にはしたくありませんでした。

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私は姉に聞けば大体解決していましたが、まともに聞ける人が居なかった姉は苦労しただろうな。

 

娘の話すことは興味がなかったり機嫌次第でスルーするくせに自分がその話題に気が向いたら後になって聞いて来たり、今更?みたいなことを言ってくるのも嫌いでした。

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『前に話したやん』とか『その時に言ってよ』と言い返すこともありましたが(キレられないギリギリのラインで)母は絶っっ対にごめんの一言も言わないし、そうだったかな?と自分の記憶を疑うこともしません。

たりが決めたんやろ!とか勝手に話を捏造されたり、何より嫌だったのが「どうせたりはこない言うやろ」とか「たりが嫌って言うやろうと思って」とか勝手にこっちの動向を決めつけて、それを先読みしてたんですよ!みたいなのを後出しで言うんですよ。

 

まだ実家にいた頃、あるアーティストのベストCDが出たので母と聴きたいねと話していたら母のお金で買っていいよと言われました。

私は普段あまり思い入れはないアーティストのものは中古で買うので、母にも中古でいい?と尋ねました(別にそのアーティストの熱狂的なファンでもなかったので)

一応母のお金なので、買っといてと言われたものでもこういう感じで私は必ず値段を伝えて了承を得てからにしていました。

今思えばそんなん聞かんでもええやんとも思いますけど当時はどんなに小さなことも自分の気の済むまで母に確認しないと怖かったんです。また何が地雷になるかわかりませんから。

 

レンタル落ちでさえなければ、お店にあるものはたいてい中古でも美品ですが母が嫌がるかな?と思い『新品にする?中古にする?』と聞きました。

元々、中古車とか中古住宅を母は嫌がるので『ちょっと高いけど、新品にしとく?』と聞いたら確実に母は「うん、ええで」と言いました。

なのにいざ手元に届き代金を請求すると「高いな」とか「中古でなかったん?」とか言うんですよ。

もちろん『母さんに新品でいいか聞いたやん』『中古やったらもうちょい安いけどいいな?って言ったで』と言い返しました(しつこいですが、キレられないギリギリのラインで)

もちろん母はごめんとかそうだったっけ?みたいなことも言いません。

「中古やったらあんたどうせ文句言うやろ」ですって。出た出た。

また勝手に決めつけて普段からたりは文句しか言わないから、やれやれ…みたいな設定ね。

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別に私のお金じゃないしもうどうでもいいわと思って言い返しもしませんでしたが(と言うかもうこの頃は母との関係に妥協と諦めでしか生きてなかったので反論する気力もなかった)今になってこういうことがそれはもうたくさん思い出されて腹が立って仕方ないのです。

 

母はこういう自分の言動を「家族にありのままの自分で純粋に接していただけ」と表現して擁護しようとするんですが

ただ、家族という名のもとに自己中・無神経に暮らしていただけです。

ただの自分勝手をありのままの自分!みたいに肯定しようとしないでほしい。

 

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モラハラをする人って・・・

母の偉そうな物言いや高圧的な態度は、育ってきた環境を知っているのである程度納得できるのですが、元親友Mが何であんなモラハラをするようになったのか?は未だに不可解で納得できていないところもあります。

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私は楽しめる自信がないなと思うことは誘われても断るタイプで、Mに限らず他の友達にもそう接していることは前にも書きました。

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一方、Mは私の誘いに「行かない」とか「嫌」とほとんど言いませんでした。

でもMが私の趣味に付き合うとほぼ毎回機嫌を悪くしたり文句を言うので、いつもそれが不快でした。

何で嫌なら嫌と先に言わへんの?自分が行くって言ったなら文句言うなよ、と。


おそらく、Mは断るということができないと言うか、何となく「良くないこと」と思っていたんじゃないかと思います。

これは、Mの育った環境も影響していると思います。

私も母と暮らしている時、自分が嫌かそうでないかなんて考えたことがなかったし、拒否することは罪だと思っていたので、わからなくもないんです。

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Mは見捨てられ不安がすごくあるタイプだと思うので、何かを打診された時に自分の意見よりもその場を取り繕ってとりあえず「良いよ」と返事するのが癖というか、息をするようにそうやって生きてきたのだと思います。

本当は私の誘いも「行きたくない」とか「嫌だな」という時もたくさんあったのでしょう。

私はきっぱり断れないMを利用した気もないし、行くのを承諾した時点で楽しんでくれていると思っていたし、何より私には本音で接してくれていると思っていました。

親友である私に対しても「嫌」と本音が言えず取り繕う必要ある?とも思いますが、Mも親に恵まれなかったタイプなのでそう簡単に「嫌なら嫌とはっきり言いましょう」と言われてすぐにできるものではなかったのだと思います。

けれど、それが人にモラハラをしても良いという理由にはなりません。

本来はこういう分析はM自身が行い、気付くべきことだと思うのですが。

 

モラハラをする人の方が本当は気が小さいというか、自分の弱い部分・醜い部分に向き合う勇気がない、そんな気がします。

Mにも家庭のことで心の傷があるのはよく知っています。

けれど、私とMの決定的な違いは辛いのを覚悟でそれらに向き合う姿勢があったかどうかだと思っています。

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言葉は悪いですがMの生き方には「とりあえず」「それなり」「何となく」感がすごくあるなぁと感じていました。

これらの記事の「友人」とは、Mのことです。

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モラハラをする人の中にはそういった自分の弱い部分・醜い部分と向き合うことから逃げる代わりに人を攻撃することで自分が上に立ったような気になって安心感を得ている人が結構いるんじゃないかな。

もちろん母もそうでした。

すぐに喚いて子どもを威圧することで自分を大きく見せ、色んなことが怖いからこそ人を攻撃して精神を保たせていたのでしょう。

自分の子どもになら躾と言い大義名分で偉そうにできますしね。

まさに「弱い犬ほどよく吠える」です。

 

母の場合、育ちが歪過ぎるのでそんな人にまともな子育てができる可能性は極めて低いだろうなということはもうわかっているので納得もしています。

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色んな負の感情から逃げている⇒逃げている自覚もある⇒そんな自分とも向き合いたくない⇒自分より弱い者を叩いて自分を優位に立たせている

モラハラをする人ってこんな図式な気がします。

家事を手抜きすることを誰も何も言ってないのに一人で勝手にイライラしてキレていたMを思い出してもそう思います。

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それでも私もあの母の子ですから、Mに何となく「NO」と言えない圧をかけていたこともあるかもしれません。

無理強いした覚えは全くありませんが、感じ方は人それぞれですから。

だから、私の趣味に付き合わせ過ぎてしまったかなというところは反省点でもあります。

 

でもこうやって自身を省みたり、自分の弱い部分や醜い部分にも向き合うことは、他人を攻撃して暮らしているモラハラ人間よりかはよっぽど強く、美しい生き方だと胸を張って言えます。

 

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選挙に行ったことがなかった理由

恥ずかしい話、私は30代半ばまで一度も選挙の投票に行ったことがありませんでした。

子どもの頃に親の投票について行った経験もなく、自宅に届く投票用紙もそれがどういうもので、どうやって使うものかという説明など両親から1度も聞いたことはなかったです。

うちでは「選挙なんか行かんでええ」「あんなもん行っても意味ない」という感じでどこの家もそうだと思っていたけど、どうも友達の親は投票に行っているようだし、社会人になると某党への投票を促す人が出てきたり、投票の帰りに家族で外食に行く「選挙あるある」とかもネットで見るようになり、他の家庭はもっと選挙が身近にあるんだな…もしかしてうちの方が少数派なのかな…ということも薄々気付いてはいました。

 

しかし親に「やらなくていい」と言われたことを『やってみるわ』と言うのは、私の家では親への反発に等しかったので

例えば昔、女性を異様に毛嫌いする母に対して、女友達を作ることに何となく罪悪感を抱いていたのと同じで

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投票に行くのも良くないことのように幼い頃から思っていました。

 

母と暮らしている時に投票に行くとしたら、また「どこに行くんや」から始まり、投票と言おうものなら「何でそんなん行くねん」「わざわざ行かんでええやないか」とグチグチ言われていたのは目に見えています。

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投票程度の小さなことも狭い世界で生きている毒母は「行ってらっしゃい」の一言では済まない可能性があり、母に何か言われそうなネタをわざわざ自分から作らなくてもいいかな…と全てにおいて消極的にならざるを得ず、母の場合選挙以外でも万事がこうでした。

どこに地雷が埋まってるかわからない中を不要不急のことで歩き回りたくない、そんな感覚。

うっかり地雷を踏もうものなら(=母の機嫌を損ねようものなら)まためんどくさいことになります。

私には他にもライブに行くとか好きな人に会うとかやりたいことがあって、そのために日々母のご機嫌取りをして、いかにスムーズにそれらのことをやれるか

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それにかかっていたので、言葉は悪いけど投票なんかをまた母と喧嘩になりそうなきっかけにしたくなかったという訳です。

 

母にキレられないよう、母が機嫌を損ねないよう、日々感覚を研ぎ澄ませてうまい言い訳や嘘も常に考えておかないといけない。

普通の人なら考えなくて良いようなレベルのことを考える余力を温存しておかないといけない。

そんな中で候補者がどうとか、公約がどうとか、そんな余裕はありませんでした。

 

高知東生さんも絶望の中にいる人が投票や選挙のことなど考えられないということをツイートしていたけどその通りで、別に私はアンチ選挙とかでも何でもないけど毒親と暮らしてたら、それどころじゃなかったというのは一理あります。

 

政治に無関心、無知だったことを言い訳しているように聞こえるかもしれませんが、別に選挙だけではなく、毒親と暮らすと万事がこういう考え方にならざるを得ないのです。

だから資格の勉強とかもあの家ではする気になりませんでした。毒母の横槍が入るとその対応で余計しんどいからです。

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それを「やろうと思えばできる」「甘え」とか言われても、どうしても私は首を縦には振ることができません。

 

別に投票に行かなかったことを悔やんでいる訳でなく、一般の人が何気なくやれるようなことをやるにもいちいち母の顔色を窺わないといけない、そういう暮らしを強いられてきたことが悔しいのです。

いい歳になるまで知らない・分からないことがたくさんあったり、そうかと思えば母から何の役にも立たない知識を詰め込まれていたり、そういう生活をせざるを得なかったことが悔しくて仕方ないのです。

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家を出て数年が経ち、ある時『投票、行ってみるか』という気持ちになりました。

そういうことを考えられる余裕がやっと生まれたということです。

 

今思えば昔の私は『誰に投票しよう?』なんて考えられるようなスタートラインにすら立てていなかったのだろうなと思いますが、そう思うと何とも言えない気持ちになります。

 

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