もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

とっても生きづらかった頃の話②

前の記事からの続きです。

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その後は主に強迫性障害的なのが色濃く出ていたなと感じます。

 

毎晩部屋の状態をきっちり同じにしないと寝られなくなり、中2頃から高校生くらいまで続きました。

当時ロフトベッドを使っていて、ベッドに上がると部屋全体が見渡せるんです。その時、物が定位置に置かれてなかったり、勉強机の椅子が定位置に仕舞われてないとハシゴを降りて直してまで寝るようにしていました。

 

同じ頃、テレビで見た一般人や専門家など有名人でも何でもない人の名前を記憶してしまい、その名前がずっと頭に浮かんで気持ち悪くて忘れようとすると余計気になって…の繰り返しに悩んでいました。

 

あとは『これ、今すぐ誰かに伝えたい!』と思うことって誰でもあると思うのですがそれが高じて『今伝えなきゃ!』と強迫観念にかられることが一時期ありました。

ある日、2階でテレビを見てて姉が1階で居た時、たまたま昔のドラマの挿入歌が鳴ったんです。姉にも聴いてほしくて1階へ降りて『これ!○○の曲やんな!』と急いでテレビをつけたのですが、既にその場面は終わっていました。そのドラマも曲も別に思い入れがあるものでもなかったのですが、その後延々『あのドラマのああいうシーンでよくかかってた曲!』と、伝えないと気が済まなくて…(今なら鼻歌検索でも何でもありますが当時はネットも普及してなかったので)言いながらムキになっている自分変だなと自覚もあるのですが、言わないと気が済まない・終われない感覚がありました。

 

総じて言えるのは自分でもバカバカしいとわかっているのにやめられないんですよね。

当時は内容がくだらないと思って誰にも相談もできなかったけど、十分病院にかかった方が良いレベルだったと思います。

 

パニック障害も自覚があります。

今でも特急に乗るのをできるだけ避けるのも「広場恐怖症」に近いものがあるでしょう。外出先ではお手洗いの有無でも非常に不安になります(腹痛のパターンが場合によって酷いため)

中学の時の遠足で、最寄り駅まで民間のバスにぎゅうぎゅう詰めで行かなくてはならず、20分ほどの時間に耐えられる自信がなくバスに乗る寸前で先生に申し出て帰らせてもらった経験があります。

先生に家まで送ってもらうとまだ出勤前だった父に「どうしたん?真っ青な顔して」と驚かれました。今思うと完全に「パニック発作」でした。

 

同じカテゴリでは嘔吐恐怖症の自覚があります。

昔は吐いたらどうしよう…という不安でしたが実は私30年以上吐いたことがありません。人生でも物心ついた頃から両手の指で足りるほどしか経験がないのです(多分胃が超絶強いのは父譲り)そういう体質なんだとわかってからはその不安はなくなったものの(ただ、次吐く時は死ぬ時なんじゃないかと思ってるw)街でそういうのに遭遇するのは未だに怖いです(街にいる酩酊状態の酔っ払いがこの世で一番というくらい嫌い)

 

吞気症に悩んだこともありました(これも最近になって調べてわかりました。学生時代が一番酷かったですが今でも緊張するとなる時があります)

 

社交不安障害の疑いから会社を辞めたこともあるので

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とにかく私は小さい頃から大きいくくりで言う「不安障害」に属するタイプだったのだと思います。

 

今書き出しただけでもこれだけありましたが、全部受診したことはありません。

それを今すごく後悔しています。

ある程度「気」のものなので、極端な話、偽薬であってもそれを飲めば大丈夫と先生が言えば軽減してた気すらします。

とにかく私は誰かに大丈夫!と言ってほしい、ただそれだけでした。

 

父の大丈夫、何とかなるという声掛けで救われた部分は大いにありましたが母がわざわざ、大げさ・根性なし・甘えるなと言葉の限りを尽くしてなじるのでせっかくの父の声掛けでプラスになった気持ちも母のきつい言葉のせいで簡単にマイナスまで下がってしまうのでした。

 

『何となく不安だ』と、母に伝えたこともあるけど母にそういう情緒的な感情はない(血が出てるとか高熱があるとかでない限り、ぼんやりした『辛い』『しんどい』は全部甘えと言われる)から、毎回母に言われる「歯ぁ食いしばってやらんかい!」を本気で実行してきました。

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そんな自分を立派だなんて全然思わないし、その我慢は必ず後になって何かしら前に進めない壁になります。私は2017年にある時ぷつりと糸が切れたようになって、仕事に行けなくなりました。

 

今もし悩んでいる人がいたらとにかく休んで、病院にかかってほしいなと切に願います。

 

スターありがとうございます。

とっても生きづらかった頃の話

私が生きづらさをはっきり認識したのは小2、小3の頃で、登校拒否にまではならなかったけど学校を休みがちになったことがあります。担任の先生から家に電話がかかって来て心配された記憶もあります。

その後何とか持ち直したものの、高2の夏頃学校をやめたいくらいしんどくて、高校生活の残りの1年ちょっとは『とりあえず中卒になる訳には行かない』の気力だけで乗り切った感じでした。

 

前に少し強迫性障害っぽいところがあったと書きました。

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最近、昔の自分のちょっと変だった行動や考え方を色々思い出していて、1度整理も兼ねて記事にしてみようと思いました。

 

一番古い記憶は4歳頃のこと。動物か何かのイラストの描かれた菓子パンを母がおやつにくれたことがあったのですがあまり口に合わず、そんな私を見ていらんかったら無理して食べなくていいと(怒られる訳でもなく)母に言われました。ところが『このパン、どこかの工場で誰かが作ってくれたのに』とか『せっかくお母さんがくれたのに』と考え始めるとおいしく食べられない自分はものすごく不義理で悪いことをしているんじゃないか…と苦しくなっていました。

 

小学校低学年の頃に母がスーパーで冬用の靴下をいくつか買ってきてくれました。しかし母はあまりセンスが良くないのでその中の黄土色の(どう見てもダサい)ハイソックスがどうしても履きたくなかったんです。母は私に渡したらあとは興味ないのでその後「履いてないやん」とか何も言われたりしなかったですが『せっかく母が選んでくれたのに』と考え出すと申し訳なくて仕方がありませんでした。私は昔から服に拘りがあるのでどうしても履くのが嫌で、結局数えるほどしか履かないままサイズアウトしました。しかし『買ってもらったのに履かなかった』という罪悪感からその後何年もその靴下を捨てられませんでした。

 

今でもよくわからず説明が難しいのが、一時期家の物を外に持ち出すのがすごく嫌な時がありました。元を辿れば物を失くすということに異様に恐怖心があって、例えばランドセルにキーホルダーを付けたいけど、どこかで落として失くしたらどうしようと考え出すとずっと気になって結局付けるのをやめたり、失くしてもいいような2軍3軍のキーホルダーを選んで付けていました(本当は1軍を付けたかったけど)

この時期(小3くらいの頃かな)は、ものすごく家族とか家が愛おしくてそれが度を越して「外と中との境界を異様に作っていた」感じ(潔癖ではないです)

物を捨てることが家族との思い出を捨てるみたいな感覚になってしまい、ゴミに近いような物も溜め込んだり、明らかに不要なものも学校で捨てるのが何となく嫌でとりあえず持って帰って家で捨てたりしていました。

 

他には『○○が起きたらどうしよう』とか『○○になったらどうしよう』ということをとにかく毎日毎日考える子でした。ではその中で実際に心配していたことは起きたか?と考えたら99%くらい無意味な心配だったことも今となってはわかるのですが。

 

上のパンと靴下の「罪悪感」はおそらく何かを要らないとか嫌いという意思表示をしても母がすぐに「なんや、せっかく○○してあげたのに」とよく言ってたからではないかなと思います。

 

起こりもしていないことへの異常なまでの心配や不安は、母からの厳しい叱責が原因ではないかと思います。

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物心ついた時から何をするにもまず、母に怒られるか怒られないかで行動を決めていました。

 

当時、ちびまる子ちゃんの漫画をよく読んでいましたが、まるちゃんが「お腹が痛くなったら嫌だな」とか心配をするシーンが多く共感できたから好きだったのだと思います。

 

小学生までは主にこういう感じで「強迫性」よりも「心配」「不安」にずっととらわれているという印象が強かったです。

 

続きます。

価値観強要ハラスメント

とにかく昔から私も姉も自分なりの小さな幸せやプチ贅沢にものすごく喜んだり、どんな小さなことでも話のネタにして盛り上がっていたなと思います。

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昔は今ほど娯楽(ネットやスマホ)もなかったから自分たちで工夫して余暇を過ごすしかなかったというのもあるけど、自分なりの世界を作ることで母から精神的に逃避し、自分を守っていたのだと思います。

2人とも結構いい歳になってもぬいぐるみ遊びやごっこ遊びもしていて、今思うとあれもちょっと度を越していたと思うんですけど一種の現実逃避だったと思っています。そうでもしないとあの家ではまともに暮らせませんでした。

 

今でも自分の趣味に関しては拘りがありますが昔の自分を思い出すと色々拘りが強すぎたと思うし、それが高じて強迫性障害っぽいところがあった自覚もあります。

 

一方母は「これだけは譲れない」みたいな自分なりの世界が全くなく、それは別にいいんですけど(無趣味を悪く言うつもりはないので)自分の価値観を必ず家族に押し付け、共感を求めるから嫌いでした。

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母が1人で出かけたり何かをして『お母さん何か楽しそうにしてるな』ってのも昔から本当にありませんでした。

だから娘が楽しそうにしていると「部屋片付けろ」とか、友達や彼氏との電話中にもお構いなしに「何時やと思っとんや」と怒鳴ったりしていたのでしょうね。

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自分の譲れない世界がないから、それを持つ者を貶める為にそうやって水を差すんです。

どうせ本人は無意識でしょうけどね。「自分を差し置いて楽しそうにするな」という潜在意識がそういう行動をさせてたのだと思います。

 

母は服やメイクに無頓着で、衣食住の「衣」は少々いい加減でも生死に直結はしない、綺麗な服や化粧品で腹は膨れない、そういうことを言っては「食」を一番に考えている自分は「良き妻・良き母」みたいに言っていました。

確かにそうですね。けれど何でも限度ってものがあります。

私は衣食住の中では断然「衣」を大事にしたい派なので、欲しい服とか化粧品のためならいくらでも「食」を削れるタイプです。かと言って、毎日もやしばかり食べる、とかではないですよ。

ネイルにも月1で行っていて、確かに高いなとも思うけど指先が綺麗だから仕事も頑張れます。欲しい服があればランチ代も抑えて外食も我慢できます。

要は人生ってバランスで、こういうことの繰り返しで自分なりの世界を作っていくものだと思うんですよね。

 

確かに、親が自分の私利私欲だけ満たして子が腹をすかせることはあってはならないことです。

しかし、親側もにこやかに穏やかに過ごす為の出費であったり時間であったりはけして無駄ではないと思うんです。親も1人の人間ですし、親と言えど自分の機嫌を自分でとるのはマナーですから。

母はそこがずーっと終戦直後みたいな脳みそで暮らしてたので「食」でしか幸せは得られないと本気で思ってたのだと思います。

だから娘が買うものにもすぐに「そんな無駄なもの」などケチをつけてたのでしょう。=「そんなもので腹は膨れないやろ」なんです。お小遣いの範囲内でやり繰りすることだって社会勉強なのに母が気に入らないと全てそうやって「無駄」と言われるのです。

値段が高いと無駄、腹が膨れないなら無駄…母の理論で生きると世の中の娯楽なんて、ほとんど「無駄」ですね。

テーマパークもレジャーもライブも全部、腹は膨れませんから。

その中で自分なりの楽しみを見つけて、譲れない世界を作るのが人生なんじゃないかな。

無駄か無駄でないかは本人が決めることです。

 

母はそういう価値観が自分と違うと必ず他者を貶していました。

 

メイクや服にお金をかけている人がグレードの低い軽自動車に乗り換えると、いの一番に「グレードが低い」「お金なかったん?」と本人に言いましたからね(実話です)

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自分なりの確固たる信念とか世界観がないし「あなたはそう思うのね」という他者との境界線を引けないから他者を下げることで自分を正当化して安心していたのでしょう。

 

家族に頼ることでしか世界が作れないから「頼る」が度を越して「依存」になるんです。

母はそうやって家族に共感された賛同されたということだけが生き甲斐だったのでしょうが、他者を無理に巻き込まないと自分の世界を作れないというのも親としての重大な欠陥だったと思います。

 

スター・コメントありがとうございます。