もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

常に臨戦態勢の母

昔からとにかく悪口ばかりを言っていた母は外で「バシッと言って黙らせてやった!」みたいなことをとかく自慢げに、武勇伝がごとく話していました。

幼い頃からそういうのを見ていたので『自分もバシッと言えるようにならないと』と、そういう風に言える母を、むしろ尊敬の眼差しで見ていました。

私が学校で先生に理不尽な扱いを受けて、母に相談すると「何ていう先生?電話したろ!」と言って電話して、その先生に謝罪させる、ということも2回ほどありました。
確かに、単なるイチャモンなら私も止めてたし、筋は通ってはいたけれど、それにしても先生はさぞかしビビったことでしょう。

子どもを守る為でもあったのだろうけど、今考えたら、外部(学校や店、職場など)か、内部(家庭)か、なだけで、定期的にああやって喚くのがある種のストレス発散だったのかも知れません。

あとは、母は同性をすごく嫌うので、同地区のお母さん方をやたらと目の敵にしては「〇〇さんとこのお母さんムカつく!」と言って、喧嘩して帰ってきたこともありました。
多分、いつの年代のコミュニティでもそんなんだったのでしょう。母には古い友達がいません。

ただ、そういう地区とか「お母さん方」の集まりになると、いくら何でもイライラしすぎだろ、と思うほどでした。
おそらくこれも、周りは「夫婦がほぼ同年代同士だけれど自分の夫だけ19歳も年上であること」を勝手にコンプレックスに感じて、勝手に敵対心をむき出しにしていただけだと考察しています。私も今の自治会の集まりなんかはとっても苦手なのでわからなくもないのですが、さすがに母は他のお母さん方にも、協調性がないと笑われていたのではないかなと思います。

職場での喧嘩も1度や2度ではないはずです。

母の一番の武勇伝みたいな話が、私がまだ幼い頃、母の職場にいた男性のネチネチ系の上司S(当時で主任くらいだろうか)にカチンときて
母「今日、Sに言うたった!」
娘ら『何て?』(ちなみにその頃はSの文句もずっと言ってたので、覚えていた)
母「おたく、家でもそんなん?(話し方が、そんななのか?)って」
母は「してやったり」みたいな顔をしていましたし、その時私も幼かったので『母さん、さすが!』と笑って聞いていましたが、自分が就職して働くようになってからその話を思い出して、ドン引きしました。
上司に向かってそこまで楯突いて「やっちまった」と思うどころか「言ってやった!」と思いながら意気揚々と帰ってきて、また普通に出勤できる神経。
しかも、後に私はその会社にコネで入り、何の因果かSの下で働くことになって…本当に恥ずかしかったです。