親と離れてすぐの時は『視界に母がいないこと』『全て自分の思い通りに生活できること』がこんなに素晴らしいことか!と毎日晴れ晴れとした気持ちで過ごしていました。正直、今まで悩んでたことはもう全て解決したんじゃないか?と思うほど。
しかし、物理的な距離を取れただけで、まだまだ精神的には他人(=母)軸に乗っ取られたままでした。しかし、私はそれに気付いていませんでした。
もちろん、母は私が家を出たことを快く思ってなくて、いじけてみたり、ネチネチ嫌味を言ったりしていたので『ざまぁみろ!』と、腹の中で高笑いしていました。完全に『勝った』みたいな気分でいたのです(母に対して、まだ『勝った・負けた』とか思っている時点で、自分軸で生きられていないのですが…)
当時の私は、と言うと、今までされたり言われて嫌だったことを、母に同じように言ったりすることが生きがいになっていました。一生かけて、今までの分仕返ししてやるわ!と意気揚々としていました。
毎日、母の死に際には一番母が傷付くことを言ってやろう…どんな言葉がいいかなぁと考えていました。
ちなみにこの頃の自分の気持ちにリンクしていて、よく聴いていた曲があります。
ちょいとナメすぎたみたいだな!
オレらは全部覚えてる
あの日お前らにされたコト
今日もあの電柱から見ているぞ
ONE OK ROCKの「カラス」という曲です。
この曲を聴きながら、私は母への復讐を誓いました。
例えば、母は私が幼い頃からちょっとした失敗も「ほ~ら!やった!」と言っては延々と責め立てていたので(前記事参照)母が失敗するとそれはもう鬼の首を取ったように罵倒してやりました。
ある日、冷蔵庫で冷やすとだめなお土産を母に買ったのですが、パッと見冷蔵保存しなきゃいけなさそうに見えるので『多分母は何も見ずに冷蔵庫に入れるだろうな』と思いました。わざと口で伝えず『書いてある説明しっかり読んでな』とだけ言って渡したんです。すると案の定何も考えずに冷蔵庫に入れた母。
その時、今までやられた「ほ~ら!やった!」の仕返しをするべく『だからぁ、、説明書読んでって私言ったやん!』『あーあ、もう食べられないよ(笑)食べても多分おいしくないよ(笑)』と思いっきりバカにした口調で言ってやりました。
もし、それと同じことを私がしたとしたら、あんたはどれだけ怒った?
某アーティストのライブに行った時も今からアンコールのいいところって時に「トイレに行きたい」と言い出した母。広いスタジアムだったので1人で行くのは不安だったらしく、同行していた姉か私に着いてきて、と。だから言ってやりましたよ。『え?トイレぐらい我慢できへんの?』と呆れ口調で。
もし逆の立場だったら、あんたはどれだけめんどくさそうに対応した?
子どもが幼くても「え?我慢できへんの?」「今からがええとこやのに」とか母ならきっと言っていました。
父が亡くなった時も「自分の夫」が亡くなってるのに、偉そうに娘2人に病院や葬儀屋の話を「ちゃんと聞け!」と命令(思うに、今まで何でも「おとーさん!」で済んできたので、いよいよ自分が矢面に立つのが怖くて仕方なかったのでしょう。それを偉そうに言うことで、隠していたのかと)
その後、私以外は一旦家に戻ろう、となった時にも、母が「疲れた」とか言って葬儀会館の畳の部屋で寝ようとしたので『家まですぐやねんから、家で寝ぇーや!今こんなとこで一瞬寝たってしゃあないやろ!』と言ってやりました(母は運転はしなくていいし、車で10分もかからない距離)
不機嫌そうに帰る母を見て、ざまぁ!って感じでした。
何が疲れただ!私が幼い頃、ちょっとうたた寝したって目くじらを立ててキレていたくせに。
私は「そんなにキツいこと言わないで」と母に言わせたかったんです。
そこで『はぁ?何がキツいだよ。これの何倍キツいこと言ったりしたり、してきた?』と言って、謝らせたかった。
でもね、その一瞬はスカッとしても、本当に心が晴れる感覚はずっとなかったんですね。むしろ、しんどい。余計腹が立つ。
結局この『〇〇させたい』といつまでも根に持ってる時点で「他人軸(母軸)」に居るし、そもそも謝るような人なら毒親になってない!ということにも気付いていませんでした。
他にも、ちょっとした忘れても良いような母の予定を私が忘れていたら「言うたやん!何にも覚えてへんな!」「アイドルのことばっかり考えとるからや」とキレるくせに、自分が私の予定を忘れて私に同じように言われると「年寄りやからしゃーないもん。ええやん、それくらい」だと。
万事がこれなので、最初は死ぬほど腹が立ちましたが、だんだん
『仕返ししても無駄』『真正面から言っても無駄』『謝るなんてありえない』
と、気付きました。
大体、そういう無神経な人間なので、毒親になるのです。
そもそも、そこで深く考えたり、自分を省みることができるような人間なら、家族や他人にあんな酷いこと言いません。
母は「相手の立場に立って考える」という部分が見事に欠落しているのですから。
多分、仕返しも真正面から言うのも謝らせたいのも、まだ相手に『期待している』証拠です。
それにまだ気付いていないこの時点では、昇華の一歩すら踏み出せていなかったのだと思います。
その後の感情の変化が、こちらの記事の後半に書いたようなことです。こう思えるまで相当時間はかかりましたが…