婿ネタが続きますが、一旦これで最後かな~と思います。前の記事で書いたように
結局、20代半ばのときに婿をもらうのは諦めてほしいと母に伝えた私でしたが、母はきっと私が産まれて30年弱考え続けていた「婿計画」を、たった1回の娘のそんな宣言で「あ、そーですか」なんて納得はしていなかったはずです。
今思い出せば、母はわりと大きな会社に長年勤めていましたが、おそらくそこでも私くらいの年齢で婿にできそうな人を探していたんだろうなぁという言動があったなと感じます(当時は『何でそんな話するのかな?』と思ってたけど、母の中では職場の〇〇君は、たりにピッタリなんじゃないか?と思ってそういう話をしてたのでは)
数年前、ちょうど私が実家から逃げようかと企てていた頃に母の職場(私も当時まだそこで働いていた)に新人さんが中途入社しました。
年齢が私よりひとつ下の、独身男性「Y」です。
Yは母ともよく社内で顔を合わせるようになります。そして、話を聞くうちにYは幼い頃から家庭環境が悪く、きょうだいは自分の他に女の子しかいないので一応「長男」にあたるがそういう扱いを受けることもなく、家が嫌いなので自分の名字を捨てたいくらいだ、と言ったそう。
お分かりだと思いますが、皮肉なことに母の元に何気なく「婿養子候補者」が現れたのです。候補者と言うか自分で「名前を捨てたい」とまで言ってるくらいなので、もはや「希望者」です。
まさに母にとっては「棚ぼた」で、更に母の目を輝かせることになったのが、Yは車であちこち行くのが好きなんだけれど如何せん多趣味な為、お金に余裕がない、と。
これは、女性特に年配の方にはあるあるなのかも知れませんが、母は「運転してどこでも連れて行ってくれる男性」がそばにいることをやたらとステイタスと感じていたようで、父が年老いて運転もままならくなれば人として欠陥があるかのごとくの扱いでした。夫の死後は運転手役も娘もしくは婿にやらせるつもりだったのです。
母自身も免許があり毎日運転してるのだから、いちいち人に頼まなくてもと思うのですが「男性の隣に座って、何もしなくていい」という幸福感が未だに抜けないみたいで、運転大好き!なYはそれだけで高評価。
そして、婿計画の為にお金だけはそこそこに貯めてきた母「僕、お金ないので~」という人の方が、支配しやすい!というところも評価ポイント。
Yの登場後、母の「婿もらうモード」が再燃しているのはすぐにわかりました。
ただ、私が『婿もらうのは、絶対にない』と断言した手前、軽々と「Y君にしたら?」とも言わないんです。ただ単純なので態度に出まくってましたが。で、話の流れでYも交えて3人で食事をすることになりました。
全く気が乗らなかったけれど、私も断る!と言える分際でもないし、もしかしたら婿云々関係なく、純粋に『いいな』と思えるタイプかも知れないし(私は、やらずに決めつけるのは嫌いなので、できそうなことならとりあえずやってみる)会ってみて『やっぱり絶対にない』と思えば、自分も納得できるし母にもしっかりそう言える材料にもなるので、行くことにしました。
まぁ見事にYは私の嫌いなタイプの性格だったんです。
母にはすぐに『やっぱりY君はないです』とハッキリ伝えました。
すると、ついに母から本音が漏れます。
「Y君、ちょうどええと思うねんけどなぁ」
何気なく聞いていましたが、だんだんカチンと来てたので『大体、婿に貰うってことはY君と私がまずそういう関係になることやけどY君は少しでも私とそうなりたいとか言ったの?』と聞きました。
すると「言われてないよ。けど、ちょうどええやん(利害関係が一致するだろ、という意味)」
これを聞いた時、私に対してもYに対しても相当失礼なことを言っている自覚はないのか?と本当に神経を疑いました。
ちょうどええやん。って。
私とYは、試着中の洋服か何かか?
娘をバカにするのも、たいがいにしろよ…
そういえば、私が長年仲良くしていた単なる幼なじみの男性も、一時期勝手に婿候補にされて「〇〇君と結婚しぃーな。ちょうどええやん」も母に何回も言われたな。
結局、最後までかわいいのは自分だけ。他人の気持ちなんてお構いなし。
金さえあれば、何言っても許されるという自信と勘違い。
Yに限らず婿なんか貰おうものなら、その被害者がもう1人増えるだけの話だったと思います。
それが私の愛する人だったら…と考えるだけでもぞっとします。