もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

「知らんがな」と、言う勇気

論点のすり替え毒親の得意技ではないでしょうか。

子が幼い頃は、親に反発して嫌われると生きて行けません(まぁ、今思えば反抗したって捨てられはしないし生きては行けてたのでしょうけど)

ですので、親に高圧的な態度や酷い言葉で支配されても、そんなものなのかな、と従ってきました。

しかし、子も成長するので、だんだん親の言うことの辻褄が合わなくなったり、『おかしい』と言われたりして、子につっこまれると親はぐうの音も出なくなります。

そういう時、さっと論点をすり替えて黙らせるのが母は得意だったなぁと思います。

とくに私の母は、ガンガン毒を吐いて攻撃を仕掛けて、私もそれなりに言い返します。だんだん『多分、私の言うことの方が正論だろうな』となってくると、母は私の罪悪感の方にアプローチを仕掛けてきます。

昔から、その手法が何となくまかり通っていましたが、冷静に考えるとおかしいことにやっと最近気が付きました。

自分の幼い頃は貧乏で、質素な食事に、薪で沸かした風呂に入って…みたいな、正直昭和生まれの私が聞いてもピンと来ないような「貧乏生活」の話を母に延々とされて「だからたりは恵まれているの」「だから、こんなに苦労してきたお母さんの手をこれ以上煩わせないで」みたいな方向に話を持って行かれます。子どもも鬼ではないので、そこで『そうか…』と思ってしまっていましたが。

正直、そんなん知らんがな。なんですね。その「だから」って、どの「だから」なの?(笑)

確かに気の毒かも知れないですけど、それ、昭和30年代頃の話ですよ?比べる次元がそもそも違いすぎる。

だんだん私が成長すると今度は「 " 歳の離れた夫の世話が大変で、仕事もしているこんなに頑張ってるお母さん " を苦労させないで」の方で罪悪感を抱かせる言動が多々ありました。

気の毒かどうか、で言えば確かに気の毒かも知れないけど、じゃあそんな風に育った、また、歳の離れた夫を持ったかわいそうなお母さんだから、理不尽な言い分でも、娘が言うことを聞いてあげないといけないか?と考えたら、全く関係ないですよね。

怖いですね~。毒に侵されているとこんなこともわからなくなるのです。今、文字に起こしていても馬鹿馬鹿しすぎて。

これを考えていて、最近ふと思い出した話があります。

 

私が中学生で、3学期が始まった頃。その前年には阪神・淡路大震災があり、ちょうど1年が経った頃でした。

学期ごとの席替えだったので、そろそろ…と皆が思っていた矢先、50代くらいのおばちゃんの担任が理由も述べず「今期は席替えをしない!」と言い出しました。

皆、やるものだと思っていたので、不服ですよね。教室はブーイングで主に男子が騒いでいましたが、私も『何で?』と思ったので、男子に混じって文句を言ってたんです。

すると、おばちゃん先生「あのなぁ…阪神大震災で未だに仮設住宅で寒い思いしてる人もいるんやで(仮設住宅や避難所の不便な話など~中略~)そんな我慢してる子たちも居るねんから…席替えがないってくらい…我慢してもいいんちゃう?たりさん」

ちなみにうちは被災地には含まれるものの、家が全壊したとか人が亡くなるとかいう被害はありませんでした。しかも震災から1年経って、正直私たちはそんなことも忘れるくらい「避難所」とか「仮設住宅」なんか縁遠い地域なのですが

私も大声でギャーギャー言うタイプではないし、ちょっと不服そうに一言二言男子と言葉を交わしただけなのに、急に名指しでそう言われました。

内心『はぁ?』と思ったけど、まだ中学生だし恥ずかしいのもあり、無言で下向いていました。教室は静まり返りましたが、更に追い打ちをかけるように「…ということで、席替えは無しでいいかな、たりさん」

今思うと、、そのおばちゃん先生、男子にはひいき目だったのですね(女性の先生にはありがちですね)

だから、男子と『毎期やってんのにおかしくない?』みたいに言う私によっぽどカチンと来たのでしょう。しかし、今期だけしないという「イレギュラー」についてもれっきとした理由もない。

おばちゃん先生は私を黙らせる方法を「論点のすり替え」で、編み出したのでは?

何だかその「無理矢理感」が、母に似ているな~と今回思ったのです。これこそが「論点のすり替え」ではないか?と。

私も、正直今はこのブログを書くのが楽しくて、つい毒親問題と、昔モヤッとしたことを繋げてしまいがちなのですが。

論点のすり替えをするのは、真っ向から相手を頷かせられるれっきとした言い分がない、とか、内心「無理がある」とわかっているとか、うしろめたい気持ちがあるからこそやるのではないか?と感じます。そこに、母と子・先生と生徒という上下関係がプラスされると、上である方は更に使いやすいですよね。

母も、自分が劣勢になれば「極貧生活話」「夫が年上で大変論」をすぐ持ち出して、不幸自慢・しんどいアピールをしていました(ちなみに、それでも私が言い返したら最終いよいよ返す言葉がなかったのでしょうね。最終兵器「アンタ、頭おかしい」は晩年何度も言われました)

この担任みたいに「ある学校のあるクラスの単なる席替えと、被災地の苦労している学生さんたち」とか次元が違い過ぎるもの同士、比べ合ってたら、世の中きりないのでは?と思います。

極端な話、毎日貧困で苦しむ国の子たちの事を思えば、ブラック企業で過労死しても食事できているだけ日本は幸せだ!とか言うのと同じじゃないですか?両方にそれぞれの次元での問題点があり、比べるのは違う気がします。

 

親のことで

なんだかモヤモヤする…と思う方は、親の言動を紐解いて、よく観察してみて頂きたいなと思います。

案外、親の言ってること「いやいや、知らんがな」かも知れません。