もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

誰かの「たかが」は、誰かの「されど」

あらゆる失敗を必要以上になじられ、責められて育つと

tari97.hatenablog.com

「失敗=とにかくいけないこと」なので

失敗する前に、やらないでおこうと消極的になるし

空気を読んで周りの顔色をうかがうばかりで、何も楽しめない。

 

人前で何かやるとか、みんなで協力してやるとか

苦手なことに挑戦するということが死ぬほど苦痛になります。

(学校なんて大体こればっかりですけど)

 

練習をきちんとしたって、本番は緊張で結局失敗するし

誰にでも苦手なことはあって当然と頭ではわかっていても、失敗したときの仲間の励ましを卑屈にしか受け取れない。

 

いつも「失敗するなよ」の刃物を、突きつけられているような感覚。

 

けれども、学生時代は自分が単なる「緊張しぃ」なんだな、損な性格だなぐらいにしか思っていませんでした。

それに、学校はそのうち終わります。あと何年かしたら大嫌いな、授業中に当てられて立って教科書を読むのも、皆の前で歌わされる歌のテストも、苦手な体育の授業も、運動会も、しなくていいんだ!と、乗り切れました。

 

けれど、やっと終わった~と思ったら、今度は面接・皆の前での挨拶・朝礼での発言。

結局、学校を卒業したって「苦手なこと」は形を変えて存在していました。

 

「慣れだよ」と言う言葉は嫌いですが、確かにそれも一理あって

「その場限り」のやり取りは、30代になりやっと、さほど緊張しなくなりました。

転職を何度もしすぎて、面接には慣れました(笑)

 

けれど、本格的に「昔から自覚はあったけど、単なるあがり症とかでは済まないのでは?」と思った出来事があります。

 

母のコネで入った会社は、仕事とは関係ない「緑化活動」とか「お遊び」的要素があるグループ活動があり、参加が義務づけられていました。

そして、毎月の活動の「報告会」があって、パワポで資料を作り、発表者を1人選出して皆の前で発表をします。発表と言っても参加者は10人程度ですが。

 

私はその発表を、どうしても、死ぬほど、やるのが怖かったのです。

 

入社してすぐは「私、発表は緊張します…資料作りをやらせてください」とうまく逃げていましたが、そう社員数が多い訳でもないので、数年居たら逃げるにも限界があり

 

それでも私は、みっともない程、逃げに逃げました。

わざわざ私の後ろで、何も知らない新人に「知らんと思うけど、たりさんはぜーったい発表せぇへんねんで。それで有名(笑)」と聞こえよがしに同僚に嫌味を言われるほどに。

 

それでも

そんな後ろ指をさされてまでも

やっぱり私はそれを、どうしても怖くてできないと感じた。

あんなのやるくらいなら死んだほうがましって思いました。

 

その活動だけならまだしも、ほかにも長年居たら色んな会議や〇〇委員会みたいなものへの参加も増えて、それが仕事の評価にも影響するので、さすがに逃げるのも限界だなと思い、約6年勤めた会社を辞めました。

 

他にも嫌なことはあったけど、それが退職理由のかなりの比率を占めています。

死ぬほど嫌だったので、死ぬくらいならば退職しようと、本気で思ったのです。

 

そういうことを、友達とかに話すと「そんなの、誰でも嫌だよ~」と返ってくるのだけど

でもみんなそれで死にたくはならないでしょ?と思うし、その「嫌がり方」を自分でも異常だと感じたため、自分は病気なの?何かの障害なの?と、色々調べるようになり、最近やっとルーツがわかってきた、という感じでしょうか。

 

 

私は、自分で言うのもあれですけど仕事はきちんとやるタイプです。

それに、その部署の仕事も好きだったし、仕事以外の苦手なことが、精神を病むほどのストレスになり、退職せざるを得なかったのは正直残念でもあります。

コミュニケーション能力も、社会人としてのスキルとして必要と言われればそれまでですけど(泣)

 

自分はこういうスキルを持っていて、こういうことに向いているから、ということで営業職・技術職・事務職など、多岐に渡って人選されているのに

その先のことは全部

皆やってるから

皆同じで当たり前

皆できるのに、なぜ同じようにできないの?

会社ってそういうとこ。

という風潮は、つらいものがあります。

 

これは、毒親育ちの人だけを指して言っているわけではなく、自分を擁護しているわけでもなく

世の中には「大多数が何とも思わないことが死ぬほど辛い人だっている」と思うのです。

それを理解して、尊重できる社会になればと思います。

 

何の話題かは伏せますが、職場での差別に繋がるようなある事例を紹介しているTV番組を見たときに、私自身も「え!?そんなことで?」と思うようなことがあり、驚いたことがあります。(何気なく言われたひとことに、ひどく傷つくなど。でも、私も同じ場面にいたら、言ってしまうかも的な)

それで、職も選べず転々としている人も少なくはないらしく

 

言った本人は、言ったことすら忘れてしまうようなことかもしれないけど

言われてる本人にとっては「そんなこと」では済まない。

分野は違えど私と少し似たような思いをしている人が、いるんじゃないかな?と感じました。

 

単なる「甘え」とは、確かに線引きは難しいところではあるけれど

誰が決めたのかわからない、大多数の「当たり前」になじめないために、その人の本来の良さが埋もれてしまうのは、非常にもったいないことだなぁと思うわけです。