もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

「家を出たい」と決定づけた、最初の出来事

前にも書いたように、母は一時期やたらと家族での旅行や外出を企画していた時がありました。

あの頃は、皆を自分の思い通りに動かしていて、母もさぞかし楽しかっただろうなと思います。

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私は、だんだん旅行にも嫌気がさしてきて、せっかくの休みは家にいたかったのですが、断ると母の機嫌が悪くなるので、適当について行っていただけでした。

今思うと、もういい歳した子どもが「旅行を断る」くらいで、何であんなにビクビクしなきゃいけなかったんだろうと笑えるけど

当時は「行くのが当たり前」で、それ以外の選択肢なんてなかったんですよね。

 

ただ、本当に行きたくないのと、このままではこれがずっと続くのか…?と思った私は、あるとき初めて家族旅行の誘いを断りました。

 

ちょうど、その時に好きだった人が、その旅行と同じ日に「遊べるかも」と言ってくれていたことも理由のひとつです。

もちろん、母にはそれは絶対に言いませんでした。

言ったって「他の日に変えてもろたらええやん」

平気でこういうことを言われるのは目に見えていたから。

元々その人との予定は曖昧ではあったけど、もしその予定が流れたとしても「誰もいない家」でゆっくり過ごすのも悪くないと思ったのです。

 

もう、20代にもなった娘が『たまには家でゆっくりしたい』と家族旅行を断っただけなのに

母は「何でや!」「行ったらええやんか」「何がそんなに嫌なん」

顔を合わせる度に言われて、多分旅行当日まで言われるなと思いました。

 

母は、断る私がよっぽど気に入らなかったんでしょうね。

「たりは行かへんねんて」「何かしらんけど」「あほやな、ええもん食べれるのに」と私を晒し者かのように家族に言い続けていました。

 

多分、母は最終の人数確定の連絡を旅行会社にするまでに私が『やっぱり行くわ』と言うと思っていたのでしょう。

それまで、母を黙らせるためにずっとそうしてきましたから。

けれど、ここで折れたらまたこれからも同じことの繰り返しになると思って、断り続けました。

 

最後の最後まで「ええねんな!今から行きたい言うたら変更できるけど!」「あほやな!」(大体、思い通りにならなかったら何でも「あほやな」って、ほんと腹立つわ)と喚いていました。

 

多分、母は、私が本当は行きたいのに意地になって『行きたくない』と言って「意固地になっているだけ」と本気で思ってたのだと思います。

いつでも、自分のいいように勘違いするプロですからね。

この勘違いと自信って本当にどこからくるんだろう?

何で、自分と同じベクトルで娘(と言うか家族全員)も生きてると、勘違いできるのだろう??

 

ずっと不思議だったけど、母がうざすぎて仕方なく合わせるから、勘違いを助長させていたのも一理あるかもとは、前回にも書きました。

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結局、好きな人とはその日予定が合わなかったのですが、もう何年ぶりだっただろう。

家で一人で過ごしたんです。確か、コンビニ弁当か何か買って帰って。

 

もうね、楽しくて嬉しくて涙が出そうでした。

 

当時、仕事を終えて帰ると、酔ってふわふわしてる父を気にかけながら、母の相手をするという「お勤め」が待っていましたから『心がほんとうに休まるってこういうことかぁ』と思いました。

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1泊だったので翌日には帰ってきましたが「一人で過ごす楽しさ」の味を知ってしまった私はその日から一人暮らしで頭がいっぱいになりました。

 

これを味わってなかったら、どうなってただろう?と最近考えます。