もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

ハードルを下げられない母

前にも少し書きましたが、年末から母がちょっと体調を崩し、顔を合わせる機会が増えたのですが(と言っても付きっきりで何かする程ではない)

tari97.hatenablog.com

命に関わるようなことではないですが、いい機会なので母の今後の生活も少し考えないといけないねという話も姉も一緒にするのですが

 

とにかく、母って「こうしておけば、こうなるはず」という決めつけがすごいので今回の体調不良についてもなかなか「これからどうして行こうか」という気持ちに切り替えられず「ああしたのに」「こうしたのに」「悔しい」ばかりなんですよね。

気持ちはわからなくもないんですけど

じゃあ母の生活ぶりでは、絶対にならなかったか?と考えたら、まぁなってもおかしくはないかなぁと言うところで

 

病気なんて交通事故みたいなもので、運の要素もだいぶあると思います。

健康志向の人でもなる時はなるし、不摂生してても一生元気な人もいるし。

「何で気をつけていた自分が」と思いながら、病気になり亡くなる人なんてごまんといるでしょう。

健康に気をつかうと言うのは、リスクを減らすってだけの話で、これさえしておけばならなかった!でも、これをやったからこうなったという話でもないのですが。

それがわかれば、みんなそうするし誰も病気になんかならないですよね。

 

母はとにかく、何においても自分で勝手に「これくらいしてたら、このくらいは大丈夫」みたいな設定をするから、そうならなかった時に気持ちが処理できないのを未だに学習しないです。

そしてまた母の場合、そのハードルが高すぎます。

家族相手にもずいぶん高いハードルを設定してきたと思うけど、姉も私も早々に毒親という事実に気付き、母のきつすぎるハードル競技からは抜けたわけですが

母としてはまず、その「抜けられる」が想定外だったから、それですでに、自分基準の「これくらいしてたら論」結局、思い通りには行かなかったでしょ?と思うのですが。

 

失敗を許さなかった母の話にもなり「ちょっとのことでも、気をつけていれば防げた失敗をしたくなかった」と本音を漏らした母でしたが、さすがに私も姉も『その「ちょっと」が、厳しすぎる。設定が厳しすぎるから、ストレスになるのでは。そのストレスが病気にも良くないのでは。時代も世の中も変わってきているから、いい加減もう少しハードルを下げたら?』という感じのことを言ったんです。

 

そこまで言えば「自分の " 失敗するな " が娘らにはハードル高すぎたかな」とかも思いそうですけど、まぁ思わないんでしょうね。だから毒親なんですけど。

 

ただ、私らに向かって母が「私のように、〇〇せねばならんみたいに生きるのは私の代で終わらせてほしい」(アンタらは肩の力抜いてみたいな感じで)言った時、姉も私も『もうとうに終えてますw 母さんみたいに生きるつもりはないですw』と2人ともが即答したのにはウケました。

 

もしかしたら、母もその即答ぶりで「あそこまでしなくてよかったかなぁ」とも感じたかも知れないけど、自分でそれを認めてしまうと、今までの自分の人生をまるごと否定することになるから、できないのか、したくないのか。という気も。

父がいた時は、まだ「夫だけは私を認めてくれている」と思えてたかも知れないけど娘2人ともにそっぽを向かれたのは、ある意味母の人生まるごと否定されたようなものなので。

 

かと言って、今までの人生全てがムダではないと姉も私も言うのだけど母は二極化思考なのでね。

tari97.hatenablog.com

自分の人生も " 良 " がゼロか100かで、死ぬまで自分は " 良 " が100だった、と思いたいのでしょうね。

 

残念ですが、今後私の口からは絶対に母の食事がおいしかったこと・お金に困らなかったこと・姉妹格差をつけなかったこと以外で認めることは発さないだろうし、姉も母に対して同じくそこ以外を絶対に肯定しないところを見ると、姉も多分同じ気持ちです。

 

まぁ、母のように生きるのは勝手ですがハードルを下げて「まぁ " 良 " が70~80くらいかな。なので、おおむね成功!」くらいで生きたほうが楽だと思うのですけど。

多分一生、ハードルは高いまんまなんでしょうね。そうやって、理想と現実がかけ離れていた事実をいつまでも認められないからしんどいんでしょ?とも思いますけどね。

 

まあ、そのしんどさは母自身の問題なので自分でどうにかして、しかないけどね。