もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

職場ではよくあることだけど、未だに苦手なこと

今の職場は、私以外に2人しかいなく、事務所に私1人になることも多くてそれでだいぶ気が楽です。

 

同年代の女性と、10歳くらい上の男性だけで、私の苦手な「母くらいの年代のおばさん」がいないのも救いです。

 

まぁ、小さな会社なので引継ぎや教育とかもなく「適当にやって」って感じなのですが

類似案件をシステムで検索して記入する作業があって、2人の記入している書類を見よう見まねで作成してたのですが

先日私の作った書類に追記がたくさんされていて、類似とは言い難いようなかけ離れた案件が足されていたので『私のやり方は、範囲が狭すぎたのかな』『もう少し、大まかでもよかったのかな』という印象を受けたのです。

なので、最新の分は範囲を広げて作ったのです。

すると今日「絞り込みの幅が広すぎる」と指摘されました。

 

今日はこのやり取りだけで、どっと疲れてしまいました。

私は、職場でのこういうやり取りがすごく苦手です。

 

こういうことがあった時の自分がどんな感じか、順を追ってみてみると

 

とりあえず注意されると、その言葉が

『ダメな奴だ』『デキない人間だ』というふうに変換されてしまって

『やっぱり自分はしょうもない人間なんだ』と、頭が真っ白になってしまう。・・・①

 

相手が『怒ってる!?』『苛立ってる!?』と思って、とっさに身構えてしまう。自分の口調がきつくなるのも自覚があります。・・・②

 

『一応言わせてほしいんですけど』みたいに自分の思いを主張してしまう(今回の場合は、前に私の作ったものにたくさん追記されていたことも伝えて『追記後のを真似たんですけど、違ってましたか?』と聞いた)・・・③

 

結局は『自分の出来が悪いのに、口ごたえしてしまった(③の発言)』と、自己嫌悪に陥り、落ち込みます。・・・④

 

それで、色々検索すると、私の母みたいな否定的な親を持つ方が「間違えた事実を指摘されているだけなのに、人格ごと否定されているような気分になる」と書かれていて、これか、、と思いました。

これは、上の①の時の感情の原因かと思います。

 

②は母に何でも死ぬほどの勢いで怒られてきたので「ちょっとした注意」「次から気をつけてね」と「相手が怒ってキレている」の境目がわからず、とっさの防衛反応のようになってしまっているのではないか?

特に母の場合「次」なんて存在していなかったので『怒られる!』と感じると『もう終わりだ!』と感じて、必要以上に身構えてしまうのかな。

 

③は、不真面目に取り組んだ訳ではないので、認めてもらえない自分を何とか認めてもらいたいという気持ちの表れのような気がします。

結局私も母に否定ばかりされてきたので、普段はあまり思わないけど、こういうときに『そこそこ頑張ったんだから、認めてほしい』という気が湧き上がってくるような気がします。

 

④は、自分が正しいことを主張しても、母には「口ごたえすんな!」と怒られていたので『口ごたえする自分は悪』という気持ちが未だに抜けていないのかも。『自分の思いを主張する』ということと、単なる反抗・口ごたえの線引きがわからないのです。

 

何か、これって母に怒られる時と全く同じ反応を未だにやっている気がします。

みっともないので、やめたいのですが

注意されているその時は、そこまで冷静に考えていられません。

「とっさの判断」には、まだ毒親への対応がしみついているなぁと感じます。

 

時間がかかっても、こうやって紐解くことが果たして有効なのか…

頭が疲れたので、今日は早めに寝ます。