もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

小さな幸せを見つけて、楽しく生きたい

母は実の姉(私の伯母にあたる)のことをよく批判していますが(伯母の人柄についてはこちら)2人を見ていると、似てるなぁと思うし、この2人の親にも相当問題あるよなぁと思わざるを得ません(私は、母の親も毒親だったと考察しています。母の兄も毒っ気あり)

tari97.hatenablog.com

2人とも

自分の恵まれている部分には感謝せず、幸せは小さく見積もり「これくらい当たり前」という感じ

自分自身の幸せの基準が基本的に「依存ベース」なので思い通りにならない確率が高いのに、思い通りにならなければ他者のせいにする

という部分がそっくり。

 

日頃から文句や愚痴が多く、謙虚さがないので「なぜ、小さなことでも幸せとして拾いあげることができないのだろう」と思います。

だからいつまで経ってもまたそれが文句や愚痴となり、幸福感を得られないのではないかな?と。

 

加齢による多少の不調はあるにせよ、それなりに動く体があり、お金にも困らず住む家もあって

娘(伯母にしたら、姪)が一声かければ来てくれる。

わりと恵まれてる方じゃないかなぁと私は思うのですが。

 

とにかく自分の思う「幸せ基準」にあてはまらないことがあれば、総じて不幸と感じるみたいな思考があるし、その「幸せ基準」のハードルが高いと思います。

 

母と伯母は生き方こそ違いますが、そういう根底にある価値観とか無意識レベルの思考はそっくりだなぁと思います。年代のものなのでしょうか。


伯母は口を開けば『何様やねん』みたいな難癖をつけるタイプで(ただ、本人はそんな気はない。ほめたり感謝するみたいな姿勢が備わってないので、ただの感想も難癖みたいなニュアンスでしか表現できないのだと思います)

例えば、伯母は自炊ができないので宅配弁当を取っていて、毎回「こんな(しょーもない)もの」みたいな言い方をするので『まずいの?』と聞くと「まずい訳じゃないけど」みたいなね…。

いますよね、こういう人。文句あるなら自炊したら?って思います。

 

この手の人って人生で幸せやなぁとか感じたことあるのかな?と本気で思うし、その芽を自分で摘んでるんじゃないかなと思います。

 

母は伯母に「ありがたいと思わないとだめよ」みたいに諭しているけど、いや母もそっくりだよと思うのです。

 

まぁこんなこと言っておいて、私も「生まれたことに感謝」とまでは正直思えないし

「あなたが「死にたい」と言った今日は…」(知らない方はググってみてください)みたいな類の言葉は嫌いです。

 

けれど、そこまで壮大なものではなくても、日々の中に幸せはいくらでも転がっています。

 

私も小さな幸せで1人で喜んで『私ってやっすい女だよなーw』と自分でつっこむくらいですが(コンビニスイーツがおいしかったとか、そんなレベル)

少なくとも母や伯母よりかは楽しく生きれるのではないかなと思っています。