もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

「イレギュラー」「非日常」は危険

毒親は、日々生きるだけでもいっぱいいっぱいだったのだと思います。

前にも「イレギュラー」なことが相当嫌だったのだろうという事は書きましたが

tari97.hatenablog.com

「イレギュラー」「非日常」になると、余計キャパが少なくなって、普段より「不機嫌」が早いタイミングで、発動するんだと思います。

 

そのいい例のひとつに「旅行」もあるのではないでしょうか。

 

 

子どもの頃、旅行にも時々連れて行ってもらっていました。

楽しいのは確かだったんだけど、毎回帰る度に『やっぱり家が一番』ってなって、ぐったりしていました。

旅行は大好きで楽しかったのに、何でこんなに疲れるんだろう?と不思議でした。

友達と話してても「(家族旅行をしたら)もっと居たい!って思う」って言うし、自分は体力がないのかな?家が好きなだけかな?とかずっと思っていました。

 

けれど20代になったある時、親以外と旅行をした時に自然と『あと何泊かした~い』『帰りたくな~い』という言葉を発している自分に気がつきました(まぁ、当時は物理的に母のいる家に帰りたくないのもありましたが)

友人や姉となら気兼ねせず、純粋に旅行を楽しめていたのですね。

 

子どもの頃の家族旅行は、母親の機嫌の良し悪しで楽しさが100にもゼロにも(いや、ゼロ以下かも)なるので、顔色をうかがうだけで疲れていたのかも?と分析しています。

家でも顔色をうかがうのは常にありましたが、自分の部屋とか「逃げ場」がありますし。

 

家族旅行で『こんなことあったな』ということを、少し紹介すると

 

フェリー乗り場がすごく混んで、大渋滞したことがありました。

普通、退屈した子どもが先にぐずぐず言いそうなイメージですが、真っ先にキレたのはほかでもない母です。

混んで動かないものどうにもできないし、途中から抜けることもできないし、待ってりゃそのうち動きます ⇦ こんなこと、子どもの私たちでもわかるので、おとなしくしていましたけどね…

言っても仕方ない文句を母は言い続けていて、車内の雰囲気は最悪でした。

 

またある時は、父が手配した民宿が、思ってたよりボロく、泊まるのを断固拒否した母。

もうチェックインの時間になろうとしているのに「泊まりたくない!」「絶対にここは嫌!」とダダをコネ続け、別の旅館に急きょ変更したことも。

ネットも携帯電話もない時代のお話です。父もよく対応したよなぁ(苦笑)

 

前にも書いたこの件も、楽しいはずの旅行中のお話でしたね。

tari97.hatenablog.com

 

フェリーの件も民宿の件も、今パッと思い出した中のほんの一部でまだまだあります。

また、思い出したら書きます。