もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

ここまで書いてきたことを一旦まとめてみる

母がなぜあそこまで、人に指図したり偉そうな態度を取ったりしたのか。あれが実の娘に対してすることか?と、どうしても理解に苦しむので、このブログで自分なりに掘り下げてきました。

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前の記事でも書きましたが、子どもが泣くと余計にイライラして怒鳴り、時には手を上げるほど心に余裕がなかったのだろうと思います(泣かなくても、イライラされてましたけどね)

その余裕のなさはおそらく、母の異常な「負けたくない」「見返したい」という満たされない気持ちと、消化しきれなかった幼少期の寂しさやつらさがくすぶっていたからでは?と考えます。

 

どうも母の娘への言動を見ていると「たとえ家族でも辛いとか悲しいという気持ちを共有するのは甘ったれ」みたいな風潮があったのもわかり

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私も、弱音を吐くことは「悪いこと」「甘ったれているだけ」という洗脳をされていたように思います。

だから、そういうマイナスの感情を家族にすらさらけ出せないし、さらけ出すどころか自分の弱い部分を認めることにもかなり抵抗がありました。

母は「強くあれ」と自分にも家族にも課す反面、おそらく一番心が病んでいたのもまた母で、弱い部分を認めたくないあまり毒を撒き散らすことで均整を保っていたのでは?と感じています。

 

しかし前にも書いたように毒を吐かないと穏やかに暮らせないほど余裕がないなら、それはもはや正常とは言い難いと思います。

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幼い頃はただの「厳しくて怖いお母さん」だったのが、私が家を出たあたりには正直「頭のおかしい母」に変わっていました。

幼い子になら通用していた意味不明なルールがどんどん通用しなくなり、うまく手のひらで転がせなくなったものだから、もう言うことはめちゃくちゃ。ああ言えばこう言うでマトモに話ができませんでした。

 

一度、姉や姪もいるところで大喧嘩になった時に、姉に『母さん、最近ずっとこうやねん。頭おかしいと思わん?!』と泣きながら訴えたこともあり、その時に母にも『母さん、おかしいで。病院行ったら?』と言いましたが、弱音を吐く程度のことを「甘ったれ」と思うような人がすんなり「そうね、そうする」なんて言うわけがありません。

案の定「そんなことないわ!ほっといてくれ!」と、はねのけた母でしたが、そこでムキになって拒否したのも「思い当たる節があるからなのでは?」とも感じます。

 

母にもう少し「負けたくない」「見返したい」という気持ちよりも、素直に弱い部分も見せ合って、家族と支え合って生きたいという姿勢さえあれば、ここまで「毒親」になっていなかったと思います。

自分の弱い部分を認めることから逃げて、向き合わないから、ますます毒を吐くの永遠のループのような気がします。

 

そんな「甘ったれ」の自分をさらけ出すくらいなら、他人を攻撃して騙し騙し暮らして行きたかったのでしょう。

ここまでは仮定ですが、なぜここまで掘り下げることができたかというと、かつては私自身も母と同じ生き方をする「毒人間」であった自覚があるからです。

 

母自身の心の問題は、根本に目を背けてきたために雪だるま式にどんどん大きくなって、前述の「頭のおかしい母」になった頃には既に誰も操縦すらできなくなってたんじゃないかな。

私自身も、その転がりを止めようと何度も試みましたが、当の本人が止める気がないのなら放っておくしか手はありません。

母の大きな大きな生きづらさの雪玉に、私が巻き込まれて共倒れするのはごめんです。

さっさと手を離して、よかったと本当に思います。