もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

母の娘に対しての「話し合い」のスタンス

嫌な夢を見ました。

 

私が思っていることとかを書いている「秘密のノート」のようなものを母が勝手に見て『何で人のもの勝手に見るん?』と怒ると「こんなとこに置いとる方が悪い」と逆ギレされたのですが、そこは私の部屋だったので『母さんに見られたくないもの全部鍵付きの場所に入れなあかんのか!じゃあ見られたくないものがほとんどやからクローゼットに鍵いるわ!そういう意味か?』と言い返すと、気に入らなさそうな顔で無視される

という夢。

 

確かに今回の夢は私の主張も極論すぎると思いますがこういう喧嘩はものすごく身に覚えがあって、何度も母とやり合った記憶があります。

 

母はいつも「ゼロか100か」なので、初っ端から極論を出してくるのです。

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子どもの頃は『そんなものなのかな』と思って素直に聞いていましたが、見聞の狭い母の言うことなので、だんだん私も知識を身につけ言い返せるようになると母の極論を真っ向から否定できるようになって、母はぐうの音もでなくなります。

 

別に私も初めから真っ向から否定するつもりはないのだけど、母の目的は「自分の我を何としてでも通す」「娘を黙らせる」ことなので、最終的に否定せざるを得なくなってしまうのです。

 

いよいよ言い返せなくなった母は、無視するか、それ以上私が掘り下げようとしても「知らんわ。自分で考え」と冷たくあしらうという流れでした。

そうやって、ハナからゼロか100かで来ることが、自分で自分の首を絞めることにもなっているので『もうちょっと落ち着いて話そうよ』と言っても、思い通りにならなさそうとわかると「無視」とか「知らん」とかで話し合い自体を放棄する傾向にありました。

酷い時には更に「アンタ、頭大丈夫か?」と、頭おかしい扱いまでされます。

 

「自分の我を何としてでも通す」ことが目的なら、まず相手の機嫌を損ねたら不利やろ?と思うのですが(やんわり言って、最終的に我を通す方が簡単じゃないです?)「何で娘のご機嫌を取らなあかんねん」とも思っている節が母にはあるので…

 

本当に母って、一方向にしか走ることができない暴走車みたいなものだったんだなぁと思います。

赤信号だろうが、木をなぎ倒そうが、人を撥ねようが、自分の交通ルールだけで一直線に走り続けるのでそりゃそんなアブナイ人から人が離れて行って当然でしょ…と思います。

 

ちなみに冒頭の「秘密のノート」について。

私は今現在物が増えるのが嫌なのでノートとか手帳の類は使ってないし、母が毒親とわかってから、幼い頃からの日記も全てシュレッダーにかけて処分しました。

なので「秘密のノート」的なものも現実にはもう存在しないのですが、毒親問題では勝手に部屋を漁られ、見られたくないものも見られるというのもよく聞きます。

 

私の母は、そもそも幼い頃の子どもには興味がなかったのと

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部屋の掃除も自分でやっていたので、学生時代に私の部屋に母が入ってくること自体、ほぼなかったです(あるとしたら、怒られる時くらい)

 

それでも、日記や交換日記は鍵付きの引き出しにしまい鍵は隠していたし、鍵をかける程でもないけど見られたくないものは絶対に見つからない場所に隠していました。

見つかって怒られることを想定し先回りして対策を取っていたのです。

そういうぬかりのなさが身についたのは良かったかなくらい思わないと、やってられないです。しょーもな。