もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

いいね👍依存ならぬ「母さんのおかげで👍」依存

誰しも、満たされない思いは抱いているものです。

だからこそ、こうなりたい!こうありたい!と思い、それを目指して頑張るのだと思います。

どちらも自然なことであって、悪いことではありません。

それが、生きる上でのあらゆることのモチベーションに繋がるとも思います。

 

しかし、母の場合「認めてほしい」という気持ちがあまりにも病的で、人並程度の結果では満たされなかったのでしょう。

ある程度はまず、自分の思う範囲内でこうなりたい!こうありたい!と理想をかかげ、それに向かって頑張るものだと思うけれど

「お母さんは、こうなりたいの。だから娘たちも同じ思いで当然よね?」「私のやりたいことは、もちろん娘もやりたいと思うはず」「これだけやったなら、これくらい感謝されて当然なのに、何で感謝しないの?」と

自分と他者の境界線を引けずに、押し付ける人の心に土足で踏み込む思い通りの労いや見返りがなければ怒ることで自分の枯渇した心を満たそうとしたのが、やはり一番許しがたい行為だったと思います。

母の思想はまさに「お前のモノは俺のモノ、俺のモノも俺のモノ!」のジャイアンと同じです。

 

母には昔から過剰なほどお礼を言ったり、まぁ簡単に言えば「おだてて」接していました。

tari97.hatenablog.com

そうすれば、単純に機嫌が良いからです。

「母さんのおかげで」と言われるのが、最高に気持ち良かったのでしょう。

きっと、現代のSNSのいいね稼ぎに勤しむ人の「いいね」が、母にとっては「母さんのおかげで」だったのだと思う。

だから「母さんのおかげ」は過剰に求めますが

親も人間ですから時に失敗もあって「母さんのせいで」になってしまう時もあるのだけど、そっちは絶対に謝らないし、非を認めないし、何とかして自分の「母さんのせいで」案件も「母さんのおかげ」にねじ曲げようとすらします。

いいねも「もらってうれしい」程度ならいいですけど、いいね欲しさに身の破滅を招く人もいるようで、その依存状態の面では、母もそっくりだと感じます。

 

 

最近、話をしている時、私が心療内科を受診したことをちょっと言った時にも

母って絶対に深く聞いてこないんです。

人の固定資産税とか、しょーもないことはこちらが答えるまで聞くくせに(笑)

tari97.hatenablog.com

 

私も別にわざわざ言ってやろうという気もないけど、話の流れで言わざるを得なくなって、今までさらっと2回ぐらい話しましたが

絶対に「心療内科?なんで?」とは、言わないんですね。

元々、子に関心のない放置親ならともかく、異常なまでの過干渉だった母が、気がついてないはずはないと思います。

 

たいがいのことに「何で?」とか「何それ?」とか、詳しい説明を求める母が、そこだけは絶対に掘り下げることがないのは

おそらく、こんなことになった(精神的に病んで、仕事もまともにできなくなった)原因は「自分のせい」と言われるかも知れないことを薄々勘づいているんじゃないかなと、私は思っています。

でも「自分のせい」になるのは絶対に嫌なので、断固としてスルーするというか

掘り下げる度胸がないんだと思っています。

 

母には「聞かれて嫌そうにしてるから、聞かないでおこう」みたいな気遣いも備わってないですから(聞きたい時はこちらが嫌と言っても聞く。親が娘に聞いて、何があかんねんというスタンス)

私を「気遣って」聞いてこないという線は非常に薄いです。

 

 

昔から、母のめちゃくちゃな要望に応えようとしてうまくいかなかった時に『だって、母さんがそうやって言うたから…』と反論すると「人のせいにすんな!」とよく言われました。

そもそも、私は「誰のせい」をはっきりさせたかったのではなく『じゃあどうしたらいいのか』『〇〇でだめなら、代案はないのか』というような意味で聞いてたことも、母は事あるごとに「アンタが言い出したんやろ」とか「母さんのせいにすんな」と、「誰のせい」とか「言いだしっぺはどっちだ」みたいなことの方に、論点がずれていたなぁと感じます。

 

承認欲求のかたまりみたいな人なので「自分のおかげ」は、何倍何十倍にもして表現し、ほめたたえてほしいけど

「自分のせい」に関しては、絶対に!自分でケツを拭きたくなかったんでしょうね。

 

「母さんのおかげ」稼ぎと、都合の悪いことは「自分のせいではない」で、頭がいっぱいだから、建設的な話し合いができなかったんだろうな、と感じます。