前にも掃除機の話をしましたが
おそらく「いい大人が、何でそこまで言いなりなの?」と思う方もいると思います。
母と共に暮らし続けるということから「逃げた」今となっては、自分でもそう思います。
当時は『言われた通りにやる』しか選択肢がなかったので、内心嫌ではあったけど『やれば文句ないんだろ』という感じでやっていました。
もちろん、母の機嫌を損ねたくないのが一番の理由でしたが(それも今考えたらあほらしい)
私はいつか母が「ありがとう」「よくやってくれたね」とも、言ってくれると信じていました。
ただ、最近色々書いてきてわかったのは
まず、母自身の心は相当病んでいてちょっとやそっとじゃ満たされることがないので
娘にあれこれ言うことを「もういいかな」と、気が済む日は、多分来ないような気がします。
小さな幸せも「幸せ」と思えない
人に何かをやってもらっても「これくらい当然」と、感謝できないくらい心は貧しい
そんな母が、人を励まし、労う余裕なんてある訳がないです。
そのことにもっと早く気がつきたかったと思うこの頃です。
いつだって、一番しんどくて辛くて頑張ってるのは自分!と本気で思ってますしね。
母の要求にはずいぶん応えたつもりでしたが「ありがとう」「よくやってくれたね」どころか、ダメ出しばかり
私は何の為に存在しているのだろうか?私はこの家の家政婦なんだろうか?
毎日こんなことを思うのが嫌で、家から逃げました。
何度、分担をお願いしたり、私に頼むのであれば口出しや指示をしないでと言っても聞く耳すら持たない、むしろ「何意味わからないこと言ってるの?」というリアクション。
「たりが、そんなに嫌な理由は何?」とも、聞こうともしない。
家事が嫌でそこばかりにフォーカスしていましたがそういえば昔から、母は万事がこうでした。
「家を出る」というのは「最終手段」だと思っているし、その手段を取らないと、自分を顧みようとしなかった母を心から情けないと感じます。
ですが「家を出る」いわば「逃げる」を1度でもやってしまうと、逃げることに罪悪感もなくなってくるし、母の要求もスルーできるようになってきました。
こんな簡単なことだったのかーと思うけど、そんな簡単なことがわからない・わかってもなかなかできないように育ってしまったのが悲しいです。
過干渉親に育てられた人にとってはこれがものすごく大きい壁だと思います。
親だからいつかわかってくれるはず…と期待する気持ちもわかるし、わかってくれる親もいるのかも知れませんが
今日のブログタイトルに答えを付けるとしたら毒親は「多分気は済まない」です。