もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

毒親あるある◆想像力の欠如

私が10代の頃から、勝手に母に「たりは婿をもらって親と同居する」という人生設計をされていたことはもう何度も書いてきましたが

ずっと『母ってあの性格で家族以外の人(私の夫になる人)とうまく暮らせると本気で思っていたのだろうか?』と不思議でした。

 

母は実家にいた頃、長男の嫁と姑のバトルを末っ子として実際見て「これは私には無理だ」とわかったそう。

だから、家族ぐるみの付き合いの少ない、親戚関係が希薄な夫を選んだと言っていました。

その予想はできたのに、なぜ気を遣わなくても「娘とは一生仲良しこよしでいれる」と、更に「娘の夫ともうまくやれる」とは、思ったのでしょうか。

  

「婿をもらえ」と言われ続けていた時から疑問で、何度考えても、どう考えても『無理だろ』としか思えなかったので『婿をもらうのは諦めて下さい』の宣言をした訳ですが

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それでも母は結局私が実家から逃げ出すあたりまでまだワンチャンあると思っていたようだし

最近、姉と母が一緒にテレビを見ていて、親子3世代が同居する、みたいな番組がたまたまやっていて、この期に及んでまだ、母は「羨ましい」と、嘆いていたそう。

 

気持ちはわからんでもないですけど

「羨ましい」とか思う前に「(同居を問題なく)できるだろうか」という心配がないことがまず理解できないのです。

あれだけ病的に「先のことが心配でたまらない」母が、そこは心配しなかったのはなぜなのか。

 

けれど、最近わかってきたことは

母は多分私たちと暮らしていた頃「精神的な我慢」を強いられたことがないから「娘と暮らす上での気遣いや譲り合い」それに伴う「我慢」が全く想像がつかないのではないかと。

 

母は自分のことを、すごく身を削って我慢して生活している。いつもしんどい思いしているみたいな態度でしたが

あれだけ気に入らないことがあったらブスーッとむくれ、暴言を吐き、気が済むまで相手をやり込め

それで「我慢してた」とか、片腹痛いわって話です。

でも、母にとってはふざけている気もなく、本当にわからないのだと思います。

 

世の中には、色んな事情で「住みたくもない人との同居」を我慢している人がごまんといます。

時々、ネットでそういった苦悩を吐露している人も見かけ「大変な人がいるのだな」というところまでは理解はしているつもりです。

一番身近な例で言うと、私は姉のようにはきっと暮らせません。

端から見たら、大きな問題もなく、金銭的な苦労もなく、本当に幸せな一家といったところです。

しかし、姉にも姉なりの苦労があって、様々な気遣いをしているはずです。

だからこそ、羨ましい云々よりも『すごいな』『でも私にはできないだろうな』と、未体験の世界への判断材料になる訳です。

 

一方母は、自分が、誰とでもどんな状況でもうまく過ごせる人間だと本気で思っているので(母があれだけ傲慢な態度でも過ごせてきたのは、母以外の家族が皆母のご機嫌を取って気を遣ってきた努力の賜物なだけですが)

「自分にできるだろうか」どころか、良い部分ばかりが見えて、人を羨むところ止まりで終わってしまうのではないかと思います。

 

世の中の人が「精神的に」どれだけ我慢をして、人と暮らしているかもわからないから

前出の親子3世代が同居するのテレビも「いいなぁ!にぎやかで楽しそう」などといったオモテの面に隠された「この中で、何かを犠牲にして我慢している人がいるのではないかな…」というウラの面が全く見えない…いや、想像もつかないのだと思います。

 

きっと「婿をもらって同居」だって完全なる夢ではなかったはずです。

私が『どうしても海外でやりたいことがある』だとか、親にそこまでの甲斐性がないとか、致命的な「絶対的な婿をもらえない理由」だって、逆に言えばなかったからです。

 

しかし、その実現を一番遠ざけたのも「あまりにも想像力が欠如している」母の方だったなと、今になって思います。