もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

「ちゃんと」の定義に縛られることの怖さ

前回、勝手な自分基準の「ちゃんとしている」にあてはまらない彼氏が許せなかった話をしましたが

tari97.hatenablog.com

多分世の中には昔の私のような人って多くて、今思い出すと『あの人もそうだったんじゃないかな』と思うことがあります。

 

もちろん、母はその代表格であり、母独自の訳のわからない「ちゃんとしなさい」にほとほと疲れ果てたため逃げて来た訳ですが

『嫌いな訳じゃないし、いい子ではあるんだけどとにかく一緒にいると何かしんどい』と思ってしまう友達がいて、最近やっと理由がわかった気がします。

 

私の母も「物質的な面」「目に見えるもの」に関しては、世間一般の「ちゃんと」にそれなりにあてはまっていた訳ですが

「精神的な面」では、小学生レベルの幼稚さだし、ハッキリ言ってかなり出来の悪い親だったと思います。全然「ちゃんとできてない」です。

 

けれど、物質的な面での「ちゃんとしてる」に隠されてしまって、ずっとその真相がわからなかったのだなとやっとわかりました。

 

で、件の友達も「目に見えるもの」に関しては、世間一般の「ちゃんと」にしっかりあてはまっていた訳で

おそらく本人もその面では「私はちゃんとしている!」という自負がものすごくあったのだと思います。

 

けれど、それが本当に自分の「やりたいこと」「望む生き方」だったのか?と掘り下げると疑問が残り

「ただ私は世間一般の「ちゃんと」のレールから外れるのが怖かっただけ」としか、友達は答えなかったし、そうやってものすごく謙虚に話すのだけど

ふとした瞬間にちゃらんぽらんに生きている人(私も含む)を見下げるような言動があって、ずっと不思議でした。

そんな人たちにいちいち腹を立てなくても、自分のスキルや貯金を武器に堂々としてればいいのになぁ…と。

 

ただ、最近やっとわかったのは「自分よりちゃんと生きて来なかった人が、幸せそうにしている」のが、ムカつく対象だったんだろうなと思います。

 

とにかく自分基準で「ちゃんとしてる」人の中でも

「本当は別にやりたくない」けど「ちゃんとしなきゃ!って生きてる人」が厄介なんだと思います。

嫌々やっているからこそ「自分は出来た人間」という自負もあるのだと思います。

自信を持つことはおおいに結構だし、そこまでで止まればいいのですが

「自分よりちゃんとしていない人が、自分よりも幸せそう・楽しそうにしている」ことにやっかみ始めると、危険だなと思います。

 

母がよく「料理のできない女なんて女じゃない」と決めつけていたのも

料理のできない(=母的にはそれが「ちゃんとしてない」)女が、自分より若い旦那に大切にしてもらっているのが気に入らなかったのだろうなってのと同じで

 

おそらく友達も、皆が遊んでいた時に、私は頑張って勉強してお金も貯めてきたのだ

なのに、もっといい加減でちゃらんぽらんに生きてきたアイツが、なぜ私より楽しそうにしている?幸せそうにしている?

その気持ちが沸き上がった瞬間に、貶しの対象になるのだと考察します。

 

私が、母との確執で精神を病んで、仕事も辞めてお金もなくてひーひー言っていた頃は、友達も「ほらね。ちゃんと生きて来ないからだよ」と、安心しきっていたのが、だんだんと私が『世間一般のちゃんとには、はまれないんだなー笑』と開き直ったあたりから風当たりがきつくなったところを見ると…

一言で言えば「面白くなかった」のでしょう。

 

私も、昔そうだったのですごくわかります。

変な親に気を遣って、神経すり減らして「ちゃんと」暮らしているのに、何でアイツはあんな態度で親と接してうまくやれてるんだ?という嫉妬をずっと抱えて生きていたので。

 

けれど「ちゃんとしてる」の基準なんて本当に人それぞれだし

こんな世の中で、何が正解かなんて誰にもわかりません。

自分の生きてきた道に自信がある人の方がきっと少ないでしょう。

だからこそ、自分と全く違った人生を送ってきて、全く違う悩みを抱えている他人に「自分基準」のものさしを当ててジャッジして、勝手にイラつくほど、無駄なことはないんじゃないかな?と思う訳です。