もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

「今」「自分」を生きる

よく、毒親関係の書籍やブログでも「今を生きる」とか「自分の人生を生きる」とか見たり聞いたりします。

私も、自分の人生を母に半分乗っ取られて生きてきたようなものだったので、ずっとそれをテーマにここ数年生きてきて、最近やっとその手ごたえを感じている…そんな気がしています。

 

「今」を生きる

過干渉親は、先々のことが心配で不安でたまらなく、それを人にも共感してもらえないと生きられない人間なのだと思っています。

思えば母は全く「今」を生きていなくて、何年も先の見えない未来を「予想していた」のではなく「決めつけていた」だけで

けれど「今」は、いまここにしかないので

焦る気持ちと「今」との共存がうまくできなかったのかなと思っています。

「今」を生きようとしている私に、遥か先の未来の話をわからせようとして、わからなければ怒ったり

教えるべきことはすっ飛ばして走り抜けて、後で「そんなこともわからないのか」と罵ったり

tari97.hatenablog.com

ずっと「わからない自分」が悪いのだと思っていたけれど、わからなくて当然だし

「時間軸をあっちこっち行き来してはパニックになる」母の世界観の方がとんでもなく異常で、それに拒否反応を示した私は十分正常だったのだと思います。

単純に「今」の時間軸を主に生きている今、やっと「今を生きる」ことの意味がわかってきたように思います。

 

「自分」を生きる

田房さんの本にもありましたが、母は娘が「考えるべきこと」までを勝手に決めて、それについての答えややり方も勝手に決めるので、母自身、私の人生を乗っ取って生きていたようなものです。

母は自分の足で、自分の人生をしっかりと歩む勇気のない、ただの小心者なだけだったのだと思います。

その小心者の部分を隠そうと、「娘のため」というパワーワード()で、あたかも自分だけが身を粉にしているかのように印象操作し

けれど中身は幼稚な子どものままなので、思い通りにならないと感情のままに怒鳴って噛み付いて

そんな母の言うことを純粋に信じてきた半生が本当に、本当にあほらしいですけど。

 

実家にいた頃も、家を出てすぐの頃も『私は私の為に生きる!』と決意して暮らしてきましたが、あくまでもそれは『何をしたいか』という物理的な面を満たしていただけで(自分がしたい!と思うことを「遂行すること」に躍起になっていただけ)

本当に「自分を生きること」は、そう生きている(自分自身の選択を)「認めてあげる」ということなんだと思います。

これもまた、一時は「認めてあげること」に躍起になっていましたが

異常なくらいに自分をダメ出ししたり、こき下ろしたり、卑下したりせず、卑屈にもならず(全くないわけじゃないけれど)暮らせている今が、「自分を生きる」ことなのでは?と感じています。

 

 

多分これは大多数の人にとっては、気張らずともできる「当たり前」のことなのでしょうけど…