もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

ACの特徴?テスティングなのか??

幼い頃、時々『何であんなことしたんだろう?』というような悪いことを平気でやっていました。

警察のお世話になるようなことでも、人を傷つけるようなことでもなく、本当に「子どものちょっとしたいたずら」なんですけど(それでも、何回かは学校の先生には叱られた)

 

1人でやることもあったし、一緒に友達もいる時もあって、そういうときはこの子が先生なり自分の親なりに言いつけるだろうなとも思ったけど、時々湧き上がるそういう『悪いことをやっちゃえ!』みたいな感情に、勝てませんでした。

 

『悪いことをしている』という自覚もあるし、わりと冷静に『先生や母に怒られるかも』という恐怖もあったのだけれど「どうしてあんなことしたの?」と後で聞かれても何でやったか本当にわからなかったし『そこまで悪いことでもないやろ。別にいいやん』みたいな気もありました。

  

よく思い出すと全体的に「怒られるとしたら、家族以外の他者」であるものをターゲットにしていました。

あとは、誰も見てなければ特定とかされないやろ。みたいな気もあったし。

 

前にも書いたように、実際母って学校が嫌いだったし、先生のことも敵視していて

tari97.hatenablog.com

母は自分に被害が及ばないことには本当に興味のない人間なので、たまに外で悪いことをしてバレたとしてもそこまで怒られず「けったいな(変な)ことする子やなぁ」って感じで終わったし、父が適当に「たいしたことないわ」みたいに言うと、母は父を崇拝しているので「ほんまやな(笑)」で終わっていました(うちの親、やっぱりちょっとおかしい気が)

 

先生には結構叱られたけど、それについては家ではこんな感じであっけなく終わったということが多々あって、ある時から内心『お母さんが怒ってなかったんやから、たいしたことない』みたいに思うようになって「先生」というものに相当ナメた態度を取っていました。

 

この感情の移り変わりって、一体何だったのかな?と最近考えていて

 

こういうことがある度に『やっぱり、お母さんはそこまで学校のことでは怒らなかったな』というのを、どうも「試す」みたいな感覚があったなと。

 

これを最近検索してみて、ACの特徴で「テスティング」というものがあることを知りました。

 

相手を困らせる言動をわざとして、自分に対しての愛情を測る行動。

 

それかどうかははっきりとはわからないけど、そうかも知れない?

 

もちろん、家では必要以上にビクビクして生きているから、悪いことをわざとしたりはしないけれど、自分の中で『これは、大したことにならないな』『きっと、お母さんはこんなことでは怒らないはず』と見極めて、そのギリギリのラインの「悪いこと」を外で探しては実行していたような気がします。

 

実際、母に怒られなかった時の心情は『よかった』という感じよりかは『ほらね、お母さんはこんなことでは怒らなかった』という安堵感というか…そんな感じを抱いていました。

 

私はずっと母には無償の愛で愛されていると思っていたけれど、無意識レベルでは『愛されている』みたいな実感を求めていたのかもしれません。