「アンタが中心になって、一緒にうちの家を盛り立ててや」
実家に居た頃、母に常々言い聞かされてきた、大嫌いなセリフです。
母は、父の死後は私を次期の大黒柱にしようと「アンタがしっかりせぇ」とはっぱをかけて
父が健在のうちから、私の興味のないことも嫌いなことも無理矢理やらせてきました。
それと似ているのですが
今でも母はすぐに「お母さんと一緒に、悩んだり、考えたりしてほしい」とか言います。
年末に患った病についても、これからどう過ごして行くかなんて、最終的には本人次第なのにみんなを巻き込んで「一緒に戦ってほしい」みたいなニュアンスの発言をすぐするので、ほんとに反吐が出ます。
そりゃね、実家にいた頃はそれが当然でしたからね。
夫も娘も、母が黒だと言えば『白じゃないか?』と思っても、従ってきましたから。
でも、みんな心から母を慕ってやっていた訳ではなくて
夫は自由に酒を飲ませてほしいから
娘はただ怒られて面倒な思いをしたくないから
それだけだったから
けれど、母はそれを「家族の愛()」だと思っていたのだと思う。
だから、毎度毎度、家に火でもつけて一緒に死んでやろうか?くらい腹が立っていたような怒鳴り合いの喧嘩も
母には「家族ゆえ」「心と心でぶつかり合った」美談になっているのだと思います(ほんと、ふざけんなって話ですけど)
先日みんなで車を見に行った時も『多分これが母の理想形だったんだろうな』と思いました。
義理の息子や、孫にも囲まれて、自分が発言したら、みんなが真剣に考え、返してくれる。
まぁ、昔はそうだったからね。さぞかし楽しかったことでしょう。
けれど、娘たちはもう母の機嫌を取らないと、育ててもらえなかった幼い頃の娘ではないので
今はみんなが「義務感」「嫌々」やっているのを、さすがの母も気がついていると思います。
なぜわかるかと言うと、母は昔、ずーっと家族に対して横柄な態度で過ごして来たので「気の遣い方がわからないのだろう」という話は前にもしましたが
要所要所で『今、母なりに気を遣ったんだろうな』というポイントがわかるんです。
でもそれが何かズレてるというか
『いや、そこ別にどうでもいいで』みたいなとこで、急に自重し出すのです。
『気を遣うって、そういうことじゃないんだけどね』って心の中でつっこんでます。
確かに、さすがにここまで娘に寄り付かれなくなったり、冷たくあしらわれるようになってやっと自分の態度のまずさに気は付いたのだろうけど
今さら感がすごいし
もう別に一緒に住むこともないから、今さら変わろうが今までのままだろうが興味もないけど
急にしおらしくなられるのも、どうしても『はぁ?』みたいな気分になりますよね(笑)
家族との共存のためだけに生きてきた母が、一番共存するためのスキルがなかったんだろうなぁと最近すごく感じます。
「盛り立ててや」なんてすごく前向きな表現に聞こえるけど、その言葉の真意は「お母さんの言うことを聞いて、思い通りに動けよ」なだけでしたね。
しかも「アンタが中心になって、一緒に」だって、自分の好きなこと・楽できることの座は譲らず、嫌なとこだけ娘に押し付ける気だったのもわかってますよ(笑)