もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

梅雨どきになると思い出すこと

実家には昔から庭がありましたが、誰も関心がなく手入れ等もほとんどしていませんでした。

母は時々思いついたように芝や花を植えたりしていましたが、継続して手入れをしないためにあっという間に雑草が茂り、また母が思いついた時に「雑草を刈れ」と言ってくるのが本当に嫌でした。

とくに興味もないのに、急に思いついて植えてはほったらかしにするとかいうところは、また「ネジ1本足りない感」がありますけど。

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父が元気な間はほとんど庭の管理は父がやって(やらされて)いましたが、私がいい歳になると今度は私にやらせようとしました。

そんな母なので、思いつきで植えてはほったらかしにするの繰り返しでしたが、なぜかあじさいだけが生命力が強く、庭の一角に毎年花が咲いていました。

 

梅雨どきになると必ず思い出す話があります。

 

小学校の頃、各クラスに大きな花瓶があり、時々、生徒が任意で持って来た花が活けられていました(農家の子もいて、家で育てた割にはわりと立派な花を持ってくる子もいた)

 

あじさいが咲くと、普段庭いじりなんかしない母があじさいを朝一番に切って、学校に持って行けと言うんです。

私はこれが嫌で嫌で仕方ありませんでした。

 

まず「持って来てね」と言われた訳でもないのに『お花持って来ました』と先生に言うのが私には押し付けがましく感じて嫌だったし

人の目を異様に気にする性格だったので、それを持って登校するのが恥ずかしい(学校までは3キロほど徒歩で通っていました)、着いてから先生に渡すタイミングがわからない、もしまだ前に活けている花があって花瓶が空いていなかったら?などと、心配事が増えるのも嫌でたまりませんでした。

普段生きるだけでもいっぱいいっぱいだったのに。

 

母が花を切り始めると『うわ、また持って行けって言われる』と察知して、わざと手提げかばんに荷物を分散させて『今日は荷物が多いから、持って行くの無理』とか、やってはみるものの、母に「たりに持たせる」以外の選択肢はないし、そのうち怒り出すに決まっているので、渋々持って行くの繰り返しでした。

 

私は『嫌だ…嫌だ…』と思う感情を押し殺して『学校にお花持って行くくらい、どうってことない!』『これくらいのこと、できなきゃ』と自分を奮い立たせていましたが

大人になった今、あんなに嫌な思いをしてまであじさいの花を持って行ったことが果たして何の役に立ったのか、甚だ疑問です。

 

母を怒らせたくないからと、嫌々やったことは、ほとんどこれで

正直『あの時耐えてやってよかった』と思うことは、すぐに出てきません。

逆に『嫌で嫌で仕方なかった』と思い出すだけでも嫌な気分になることは、いっぱいあります。

 

今くらいの時期に街であじさいを見かけても、毎回その時の気持ちを思い出して憂鬱な気分になります。

 

お花を持って行くことも確かに嫌だったけれど、それよりも

「何で、お花持って行くのが嫌なの?」と聞いてくれないこと、こちらの意向を全く無視されたことが嫌だったのです。

 

私の母親はもう手遅れですが

どうか、今親をやっている人には「こういうこともあるんだな」と知ってもらえる材料になればと思います。

 

大人になった今は何てことないことでも、子どもにしたら一大事なこともあるのです。

子どもには子どもなりの世界観があって、小さな世界の中で一喜一憂して必死に生きているのです。

大人の都合だけで、それを軽視されたりバカにされることは、子どもが大人になって世界が広がってもずっと心の中でモヤモヤが残ります。

 

ワガママを何でも聞け・親が折れろということではなく

子どもの主張にただ耳を傾けてあげてほしいというだけです。

 

母はそういうことを、ほとんどしてくれませんでした。

それってそんなに難しいことでしょうか。