もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

相談相手にすらならない

母は、ひとつ心配ごとがあるとそのカタがつくまで次のことを考えられないという性質があります。

まぁこの血は若干私も引いている自覚はありますが

tari97.hatenablog.com

母と私とで決定的に違うのはそれで人に当たったり、他人に迷惑かけるほど悩むかどうかというところだと思っています。

 

母は昔から心配ごとも全部家族に聞かせて、結局自分の言ってほしいことを言わせて、安心するみたいな流れでした。

「みんなはどう思う?」みたいな感じで、あたかも「アドバイスしてほしい」的に話をしてくるんですが

いつも、母の中ではもう答えが出てるんです。

自分の意図してないアドバイスをされたら反論して結局自分の意見に賛同させるんです。

 

だから私は母の相談に乗るのも、嫌いでした。

 

しかしよくよく思い出すと、これも昔よく怒られたんですが

例えば私が『迷ってるねんけど、Aに傾きかけてる。念のため、Bはどうか意見を聞きたい』だったとしても「相談する権利」はありますよね。

 

最終的に決めるのは本人だけど、人によって反対意見があれば聞きたい人もいるし、背中を押してほしいだけの人もいる。相談ってそういうものだと思うから「ある程度相手の出方に合わせて答える」ということも「相談に乗る」ということにもなると思うんですが

あの母のことです。いつも視点が「自分」なのです。

 

例えば、さっきみたいな『Aに傾いてるが、Bも気にはなっている』みたいなことがあるという時

母が「Bがいい!」と思ったら、Aを徹底的に貶され、従わなければ必ずこう言われました。

「たりのそういうとこが嫌いやわ。ハナからAって答え決めてるもん。それやったら相談しぃなや(するなよ)!」

 

相談って、相手の「こちらがいいと思うよ」のアドバイス通りにしないと、したらいけないんですかね?

人にはさっき書いたように自分の意図してないアドバイスをされたら反論して怒るくせに…。

 

こんななので、そりゃそのうち母になんて相談しなくなりますよね。

なので時々、わりと大事なことを相談せずやったりすることがあったんですが

そしたら今度は「アンタは何でも勝手にやる!相談もなしに!」って怒るんですよね。

 

どないやねん。

この一言に尽きます。

 

 

昔、母の職場でどんどんパソコンが導入され始めた頃、パソコンの全くできない母がいよいよ職場での居場所を失いかけた時に本気で辞めたいと思ったらしく

でも月に入ってくる十数万の給料をおいそれと断ち切ることもできない(病的に守銭奴だから)

それを「どうしたらいいと思う?」と聞かれたことがありました。

当時、若い派遣さんにも馬鹿にされて、悔しくて辛くて…と言うので、それで精神的に疲弊して体壊したら元も子もないから、辞めたかったら辞めたら?と言ったら、すごい勢いでキレられました。

 

「そんなもんできる訳ないやろうが!」

いやいや、めっちゃ答え出てますやん。

「言いたいことはわかるけど、そうもいかないでしょ?」とか返すならまだしも

「できる訳がない」。

 

「できない」でもなく「できる訳ない」

めちゃくちゃ答え出てるやん(2回目)

 

かまってちゃんの母のことなので『辞めたかったら辞めたら?』だけ言ったら「私のこと、どうでも良いのか」みたいに怒ってくるのも予想できたので

めちゃくちゃ親身になって(いる風に)たくさんの言葉をオブラートに包んで、慎重に発言もしたし

『もし、お金が不安なら私仕事変わったり考えてもいいし』とも言ったのですが、またそこでスイッチが入り、更にキレられました。

 

「そんなこと、簡単に言うな!仕事変わるとか、そういうこと簡単に言うのが腹立つ!」ですって。

 

結局

母ってただ自分で整理できない苛立ちを相談という名のもとに家族にぶちまけていただけじゃないかな。

 

成人してから、私は普通に話しているのに何でいつもこう喧嘩みたいになるのだろう?とずっと不思議でした。

私が母を怒らせる何かをしているんだろうか?と自分を責めました。

 

でも、やっぱり違うと思います。

その時その時で、母自身がどうにもならない気持ちを消化できるだけの精神力がなかっただけの話なんだと思います。

 

一応「親」ではあったものの、あれは親の「相談を聞く」という姿勢では、全くなかったなと思えてなりません。