もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

自称 子どもの気持ちのわかる親

この間、姉と母と3人のLINEの、母からのメッセージで目を疑うような一文がありました。

「母さんは、絶対に子どもの気持ちのわかる親になろうと決めて結婚した」

それを見た時『え?は?どういうこと?』と、マジで数分混乱しました。

 

母には「相手の立場になって物事を考える」という部分が見事に欠落していると、このブログでも散々書いてきました。

いつでも、自分のものさしでしか物事を考えられず、家族には自分の価値観を押し付け、その割に自分が「その程度で」とか「これくらい」って思えば、相手が嫌な思いをしても、謝るどころか省みようともしない。

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そんな母が「子どもの気持ちのわかる親」とは??

頭の中が「?」でいっぱいになりましたが

その後のやり取りから

 

ただお金を貯めて、料理をしてきただけだったこと

「優しさ」を「甘やかし」と勘違いしており、厳しく育てすぎたこと

自分が、娘の気持ちを一番に考えているつもりが、見当違いだったこと

 

これらを、自覚できるようになって

結局自分は子どもの気持ちのわかる親だと思っていたけど、単なる独りよがりだったと思うというようなことをその後入れてきたのでした。

  

母はいつも「先のことが予想できへん奴はアホや」みたいなことを言っていた割に、母自身の生き方はいつも「予想」ではなく「勝手に決めつけていただけ」で

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その通りにならないと、理不尽に怒ったり、言う通りにしない奴はアホ!とこき下ろしたりしてきました。

無理矢理母の敷いてきたレールに、時には家族はウンザリしていましたが

まるで自分が「全てお膳立てしてやった」くらいの口ぶりで

 

母が長年自信満々で「私は子の気持ちをわかっている親」と思っていたことは

ただ単に母が子どもの頃、嫌だったことの真逆のことをやる・良いと思ったことだけは親の真似する(そうすれば子どもが絶対に喜ぶと思っていた)という、何とも稚拙な考えから生み出されたものだったようです。

 

 

例えば母は子どもの頃、末っ子であまり相手にされず育ち、きょうだい間でも比較されてきたので

逆のこと⇒子どもに構い過ぎる(結果、過干渉タイプの毒親に)、姉妹間で比較をしない

ことに繋がったのではないかと考えます(姉妹間で比較をしないことは、何度も言いますが良かったです)

 

実家が貧しいことで悔しい思いをたくさんしてきた、貧しいため食事も質素なものばかりだったので

逆のこと⇒ただただお金を貯めて(金に対する執着が異常)、料理をしてきただけ(たしかにおいしかったが、手の抜き方わからず時に当たり散らしていた)だったこと

 

「優しさ」を「甘やかし」と勘違いしており、厳しく育てすぎたことに関しては、母は「厳しく育てられて良かった」と、本心で思っているのか、そう思いたいだけなのか、自分の親の受け売りだったようです(ただの根性論で、私は嫌いです)

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確かに母の考えは「間違い」ではなかったのかも知れないけど

相手(娘)が本当に伝えたいこと、わかってほしいことをあれだけ訴えても

聞く耳すら持たなかったことについては「間違っていた」と思います。

そこに「子どもの声に耳を傾ける」という選択肢はありませんでした

これでは、子どもの気持ちなんてわかるはずもありません

 

結果、娘には逃げられるように家を出て行かれ、母の「予想」をはるかに超えた最悪のパターンになるまで、母は自分の間違いに気付くことができませんでした。

 

 

母にとって「自分は1人では生きられない人間なんだ。これまで生きてこれたのは家族のサポートがあってのことだったのだ」という気付きは、母が一番苦手な「1人で過ごす」ことを実際にやってみないとわからなかったのでしょう。

今さら感がすごいですが、死ぬ前に気付けただけでも良かったのか、悪かったのか。

 

「娘に嫌われることなんて絶対にない」「年を取ってからも、娘に大切にしてもらえるのだ」と母が勝手に「決めつけていた」結果にはならなかった今、母に問いたい。

 

「先のことが予想できへん奴はアホや」

耳にタコができるほど聞かされたこのセリフ

果たして母はできていたと言えるのでしょうか?