母は
・自分の恵まれているところには目を向けず
・人の羨ましいところばかりにフォーカスし
・わざわざコンプレックスを自分で増大させて
・他人を下げられるネタを見つけることで自分を保っていただけ
というところがあると、以前にも書きました。
なぜ何事ももっと前向きに、明るい方向に考えることができないのかなぁと思います。
確かに、子どもが幼い頃や、夫の介護が必要かも知れない頃には、心配ごとも不安なこともたくさんあったとは思います。
嫌々頑張ってきたこともたくさんあったでしょう。
しかし、その心配からも解放されて、だんだんと手を抜き(いい意味でね)、楽しても良くなって、もう何年経ったの?と聞きたくなるくらいの今でもわざわざ自分から心配のタネを見つけてきては、考え込んで、気に病んでその芽をどんどん成長させるみたいなところがあります。
住む家もあって、食べるものにもお金にも困らない。
頼れる娘が2人とも(嫌っているとは言え)近所に住んで手を貸してくれる(私はあまり貸してないけど)
世間的に見ても、恵まれている方だと思うのだけど。
昔から、少しの失敗でも死ぬほどの叱責をしてきた母。
その理由は「少しの不注意で取り返しのつかないことになるのが怖かったから」らしいです。気持ちはわからんでもないです。
けれども、その慎重な性格(←すごく良く言えば)のおかげで受けた恩恵は、もうそろそろ実を結んだのではないだろうか?
それが、お金や住む場所・食べるものに困らないという、母が一番大切にした「物質的に不自由のないこと」に繋がったのではないのだろうか?
それでもまだ、母は一体何がそんなに不安で気に入らないのだろうか?
いい加減、思考のシフトチェンジをすべく、気持ち切り替えろよ、と。
確かに、年末から患った病については予測できなかったし、不運だったとは思います。
しかし、娘には昔からずいぶんと厳しく「しつこい」だとか「気持ち切り替えろ」だとか言っておいて…母と話していると正直、いい加減にしろよと。
母は、入退院を繰り返すうちに欠勤が増え、雇用契約どおり会社も退職となったようですが、30年近く勤めた会社をそのようなかたちで辞めざるを得なかったことが悔しかったようです。
気持ちはわかるのですが、これもいつまでも気持ちの切り替えができず「クビにしやがって!」とか「会社のみんなに死にかけてると思われたままで、悔しい」とか言うんですよね。
クビ⇒雇用契約でそうなっているのだから、けして不当な解雇ではないです
死にかけてると思われたままで、悔しい⇒母のようなひねくれた考えで母を思い出す人なんてほとんどいないだろうし、そもそも死にかけてるって思われたって、実際元気に生きてりゃどうでも良くないですか?(てことは、母が逆の立場なら「あの人、会社クビになったけど、死にかけてるんちゃう?笑」って思うってことですよね、多分。性格悪すぎるでしょ)
本当、いつまでも「世界が狭い」「訳のわからん決めつけが激しい」とこが、成長しないです。
その「訳のわからん決めつけ」で、自分も苦しめていること、いい加減気が付かないか?
こんなに「負」の考えでしか物事を捉えることができなかったら、そりゃ幸せなんか感じないだろうな~と思います。
母の思う「正解」って、一体何なんでしょう。
一体どうなれば「幸せ」なんでしょう。
こんなだから、意識的に『前向きに』『楽しく』『明るく』生きようと奮闘している私からしたら、本当にうっとうしい。
ネガティブが伝染りそうで、LINEで話すだけでもイライラします。
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