もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

「なにくそ精神」いつまで続けるのか

昔から母は、とにかく「なにくそ精神」で生きていました。

 

母の「なにくそ精神」は、貧しかった幼少期の生活が関係しているのだろうとは思います。

だから、負けたくない!もうあんな暮らしは嫌だ!と、頑張ってきたのでしょう。別にその生き方をとやかく言う気はありませんが「もういいんじゃないかな」と思うんですよね。前回も書きましたけど

tari97.hatenablog.com

老後困らないように!という未来を描いて、今、物質的に困窮することなく暮らせているのだから「なにくそ精神」の結果が出たのがまさに今、だと思うんですけど。

母は結果が出てもいつまでも「なにくそ精神」で、生きているみたいな感じです(もう平成も終わりそうですけど、頭の中は戦後・昭和のまんまなんでしょう)

 

まぁ、いつまでも考えを変えられないのは、元々頭が柔軟でないし

母って、自分の考えられる範疇以外のことについては本当に「自分」がなく(というか、多分考える頭が足りないのだと思う)

家族に言われてやっと「そうか」って思うタイプなので(だから、娘がキレて出て行くまで自分の言動のまずさに気がつかない)

その時、その時に「今の一番心配なこと」が、次の心配事が出て来るまで、ずっと頭をもたげている、みたいな生き方しかできないんですね。

色んなことを少しずつ、いい意味で適当に、並行してやる(考える)ということができない。

 

なので、そんな感じでこの数年を一人で過ごし、母の新たな心配は「認知症になったらどうしよう」だったようです。

恐怖心だけは人より何倍もあるのと、唯一の趣味が「テレビを見ること」なので、そういう実録のドキュメンタリーでも見て「やばい」とでも思ったのでしょう。

そこまではまぁいいとして

 

例えば「認知症になって、家族に迷惑をかけることのないように」という目標があるとして、防ぐには?と考えた時、色々と方法はありますよね。

 

料理・文字の読み書き・用事がなくてもブラッと出かけてみる・習い事…

「頭を働かせる」ことが目的ならば、いくらでもあります。

地元のバスや電車に乗るだけでも、ビビりの母には大冒険ですし。

tari97.hatenablog.com

 

しかし、何でもかんでも「人ありき」で生きてきた母にとって、自発的にそういったことをやろう!という、知恵がとにかくありません。

 

そこで、この間母と姉とのLINEで

「ボケないようにということだけ、考えて生きてる」みたいなことを言う母の「ボケない工夫」が

「ぼーっとして過ごさない」

これだけ聞いたら、確かにそうだなってなりそうなんですけど

母の場合ちょっとニュアンスが違うんですよね。

 

その「ぼーっとしない」は、さっき書いたような「何かをして頭を働かせる」じゃなくて、結局今まで続けてきたような

何でも理詰めできちきちに考える。その思想を絶やさない!⇦ それを、最大級の「しっかりする」だと思ってるらしいです。

もっと簡単に言えば「なにくそ精神」が「ボケ防止に繋がる」という風なニュアンス。

もう何かね…母ってもしかして、あんまり頭よろしくなかったのかな。と、また読みながら真顔ですよ。

そういうことじゃないと思うし、それで散々失敗してきたやろ…って思うんですけどね。

 

結局、いつまでも「なにくそ精神」で、万事カバーできると思っているようです。

「楽しめること」で、脳を働かせよう!という知恵がまるでありません。

 

 

ちなみに、頭の固い団塊世代を揶揄する言葉で「脳みそ筋肉」という言葉がありますけど、最近母も立派な脳みそ筋肉だなって思います。

 

「なにくそ精神」の昭和、いや戦後?で時が止まってる、脳みそ筋肉。 

我が親ながら、本当に情けない。

 

 

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