母の残念だなと思う部分は数えきれませんが、何でも「自分視点でしか物事を考えられない」ということもそのうちのひとつです。
もう何度も書いてきましたが。
人間、それぞれ好きなもの・苦手なものがあるので当然、他人が好きなものでも、理解できないことも出てきます。
例えば私は運動が大嫌いなので、お金を払ってまで〇〇マラソンとかに参加する人の気持ちには共感できません。登山とかも多分一生やらないと思います。
けれども、それぞれにやる喜びがあって、楽しめる人はやればいいし、私のような人間に少しでもわかりやすく聞かせてくれるならば、話を聞いてみたいとは思う。
毒親はそういう姿勢が持てないのか、持とうとしていないだけなのか
「自分が良いと思わない」となれば、即座に否定的にしか見られなくなるところがあります。
(毒親に限らずこういう人は一定数いて、共感できないと「世間一般からしても、おかしい」みたいに勝手にジャッジする人もいます)
「理解ができない」は仕方のないことですが
「理解できないならできないなりに、聞いてみよう」という姿勢もないから
例えばおいしいものを食べたとか、どこかに行ってきたとか話しても
守銭奴の母は二言目には「いくらかかったん?」
万事がこれなのでつまらないことこの上ないのです。
母の頭の中には「金」と「食べ物」の引き出しくらいしかないから、何の話を聞いてもその引き出ししか開けられず、とくに値段の話になるのだと思います。
せいぜい、食には興味があるので食べ物の話なら調理法とか味付けの話くらいにはなりますが
とにかく興味のない話を、わからないなりにも聞いて理解を深めようという姿勢がない。
その上、👆の記事のようにいちいち貶したりしてくる時もあるから、不快なのです。
大人になってから、母と話すのが楽しくなくなった理由がやっとわかった気がします。
例えば、登山が好きな人に対して
「(リア友とは別に)登山友達もいるの?」「ウェアもかわいいの揃えるの?」「今度はあの山にしよう!とかはどうやって決めるの?」「テレビとか見てて、あ!ここ登りたい!って思ったりするの?」
上級者にしたらあほみたいな質問かも知れないけど、私は魅力がわからないからこそ話を聞きたいなと思うし
私自身もオタクをやっているので、聞かれる側になると
「何でツアー中に同じのを何回も見に行くの?」「きれいにして行ったって、自分のことなんか見てないやん」「将来彼が養ってはくれないよ」
など、何回言われたことか。
そこで母みたいな人はさらに「お金がもったいない」とか「時間の無駄だ」とか勝手に自分のものさしで決めつけるんですよね。
「理解ができない」と「お前はおかしい」をすぐイコールで繋げないでほしい(笑)
最近は『この人は母と同じで、この歳まで生きてきた割に、引き出しが1段か2段くらいしかない人なんだな』と思うようにしています。
そういう人は、自分自身で周りの世界をどんどん狭めているような気がしてなりません。別に本人がそれでいいならいいですけどね。話してていい気はしませんよね。
しかも、母の場合「人ありき」でしか生きられないのに、人に寄り付かれなくなる原因を自ら作っているのが滑稽だなぁ、と。
昨日も、スーパーでキンパ(韓国式のり巻き。私はこれが大好き)が半額になったのでウキウキで買って帰りましたが思ったほどおいしくなく、母が昔実家で見よう見まねで作ったやつのほうがおいしかったのです。
それを母にLINEしようかと思ったけど、どうせ入れても二言目には「いくらしたん?」なんだろうな…と思うと、ま、いっか。となって
結局、こういうことなんだろうなと思いました。
母は娘に見捨てないでほしいみたいなことを時々冗談めかして言いますが
こういうことの積み重ねで、限りなく気持ちは遠のき、縁が薄れるんだよな。と思った次第です。
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