もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

また生まれてきた感情

前に書きましたが

tari97.hatenablog.com

あれだけ金!金!と言っていた割に、なぜ働く上で有利となるパソコンの勉強をもう少しやろうという気にならなかったのか?という話をこの間母にしてみました。

 

たり『母さんは、金のためなら根性!で、たいがいのことやるタイプやと思ったけどパソコンの勉強は何でもう少しやろうと思わんかったん?』

母「母さんは自分のできる最低限の力で働いて、いくらもらえるか?やから」

た『でも、パソコン覚えて仕事してたらもうちょい稼げたかなとは思わんの?』

母「パソコンを覚えてまで、給料もらいたくないもん」

た『じゃあ覚えないとクビですって言われたらやってたの?』

母「そうやな!それなら、やってたわ!」

 

やっぱりそうなんですね。

自分の設定したラインをここ!と決めたら、断固としてやらないんですね。

自分を甘やかすことは、忘れずやるのですね。

まぁでも別にそれは個々の生き方なので良いと思います。

 

ただね、私が引っ掛かるのが

娘には自分なりのその設定のラインを決めることを許さなかったこと

何でもかんでも、情けない!根性なし!と一蹴して

「できて当然」「自分もやってきた」みたいに言って

頑張っても「頑張ったね」より先に「これくらい、できて当然や」

tari97.hatenablog.com

 

ずいぶんと偉そうに言われましたけど

いやいや、あなた、してないですやん(笑)

思いっきり、自分には甘いですやん(笑)

 

私、最近すごく思うんです。

私は長い間、自分の足で歩くことを知らなかったから、自由がなかった反面、楽してきたことも自覚しています。

そんな中で、色んな友達とも出会って、職場も転々としたけど、皆それぞれ個々の事情を抱えながらも、何とか折り合いをつけて必死に生きている。

今、自分の足で立ってがむしゃらに生きるとはこういうことなんだと、30代半ばにしてやっとわかった訳ですが

じゃあ、母と暮らしている頃の私は頑張っていなかったのかというと、そういう訳ではありません。

ただ「頑張り方を間違えていた」だけで

あの頃だって、私は必死に生きていました。

今よりずっと辛い環境の中で、何とかかんとか生きていました。

そんな私をことあるごとに、情けない!根性なし!とこき下ろした母のことが、やっぱりどうしても許せないのです。

更にここへ来て、母がいかに自分の感情は家族任せ・自分のこととなるとハードルを簡単に下げていたかということがわかってしまって

余計に腹立たしいのです。

この感情は、今までなかった感情です。

 

ひとつ昇華したかと思えば、それまで見えてこなかったことが急に浮かび上がってきて、またそれを昇華していかなければなりません。

 

難しいですね。

 

何かあればこちらへ

お問い合わせ