私は元々争いごとが好きではなく、冷静に話し合って済むならそれが一番いいと思うというのは前にも書きました。
そんな、元々温厚な私が『もう我慢ならん』と、家を飛び出したことは「よっぽどのこと」だった訳です。
私は、この「よっぽどのこと」を実の母にされたことが、どうしても情けないし、やりきれない気持ちになります。
昔、母とゴルフの練習をしていたことがあります。
これは、私が一番母の毒にやられていた時代の話で、ゴルフなんて全くやりたくもないけど母が楽しそうならばと思い、嫌々付き合っていました。
(なぜそんなこと嫌々やっていたのか、というのは今回スルーしてください)
まぁもちろんそんな気持ちでやるので、練習も身が入りません。
休みの度に母と嫌々打ちっぱなしに行っていましたが
母も母で、あんな性格ですから、すぐ「そんなんじゃあかん」とか
こちらの『頑張ろう』という気を失くさせるアドバイスしかしないのです。
前の車庫入れの時と同じです。
だんだん『言い方何とかならないのかな』と思ってちょっと意見をしたら、また母はブチ切れて「〇〇さん(当時、ゴルフを教えてもらっていた母の知り合い)に言わせたらこんなもんやないで(この程度のシゴキじゃ済まないで)!」「そんな気持ちなんやったら辞めてまえ!」と言われて
また『何でこの人ってこういうものの言い方しかできないのだろう』と呆れかえって
「ほな、もう辞めるわ」とその場で宣言して、結局それから一度もクラブに触ることはありませんでした。
私も私で頑固なのは百も承知ですけど
母のこういうところなんですよね。
何で、限界突破するまで相手に噛み付かないと、気が済まないのだろう。
せっかく積み上げてきたことが、そのたった一言で崩れるってわからないのかな。
結局母は友達もいないし、私がいたらコース回れる相手が1人増えていたのに、一瞬の怒りを優先したばかりに、気軽にコースを回れる相手もほぼいないまま。
今も「元気になったらまたゴルフやる」と息巻いていますが、どうだか(笑)
その集大成って言ったらおかしいけど「せっかく積み上げてきたことが、そのたった一言で崩れた」最たる例が「偉そうな物言いのせいで、娘に嫌われたこと」だったと、私は思っています。
1人では何もできない、趣味もない
実際、今1人で「寂しい」って言ってる母を見ていると『だから、私何度も言ったやん』という気持ちに苛まれて、こっちが情けなくなります。
母は昔から「親を上手に使いなさい」なんて、まともな親のような発言をよくしていました。
料理がうまいのと経済的にだけ自信のあった母は「お母さんと仲良くして、金銭的に余裕のある生活をしなさいね」というニュアンスでした。
確かに私も金銭的な面で母に依存していたことは否めませんが
昔、母と色々出掛けてたのも、何も始めからそんな気持ちで行っていた訳ではなく
お互いがウィンウィンの関係だと感じていたからです。
母も母で、1人ではどこにも行けないし、誰かがいないと楽しめないタイプだから
互いの需要と供給はうまく成り立っていたのです。
その証拠に、母は「あの頃は楽しかったのに」と、よく当時のことを話してきますが
その度に『それを壊したのはどこのどなたですか』って思うんですよね。
母の普段のあまりにも横柄な態度が私の怒りの沸点を超えてきたため
どんな高価な物も、高級な食べ物も『母と一緒にってのが条件なら、いらない』との結論に達した訳です。
母は、家族なら・親ならそのラインは超えないと本気で思ってたようです。
母の中で「絆」を高く見積もりすぎたのか、母が自分をかなり高評価していたのか、金のチカラがそれほど強いと思ったのか、すべてあてはまるのか、それは知りません。
「親を上手に使いなさい」
私もバカじゃないから、それくらいわかっています。
世間にはそこのところ、よく理解している子はたくさんいます。
でないと、まともに生活できないような給与しか貰えませんからね。
(もちろん、皆が皆そうではないですけど)
そのかわり、親側だって、子からの恩恵をうけている。
趣味も何もない・何も1人でできない母みたいな人でも、お金のあることだけで子や孫に慕われてるという人、いっぱいいると思います。
それでもいいと思うんですよ。
それなのに母はそれすらも崩しにかかってくるような、横柄な態度で私に罵詈雑言を浴びせてきました。
残念ですが、私はそれを(かなり我慢はしたけれど)いよいよ宣戦布告としか、思えなかった。
だから、今、そんな母が「寂しい」だなんて言う資格ないと思うし
何が寂しいだよ、と反吐が出そうなほど腹が立つのです。
何かあればこちらへ