もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

「〇〇されたら、お母さん、困るんよ」

学生時代、実家にいた頃に隣の家の母娘喧嘩が時々聞こえてくることがありました。

まぁうちみたいなヤ〇ザみたいな怒鳴り方はしてなかったけど。

母は一応世間体は気にするタイプなので、喧嘩が本格化してきたら「お父さん、窓閉めて」と言うぬかりなさはありましたが、お隣はわりと窓を開け放して大声で喧嘩していることが時々ありました。

最近それを思い出し『あれってどうなんだろう』ってもやっとしたので、書くことにしました。

 

お隣も姉妹2人で、歳がうちほど離れてはいませんでした(年代的には、私と同じくらいです)

お姉ちゃんの方が中学に上がったとき、吹奏楽部に入ったようでした。

次に妹さんが中学に入ったときに同じく「吹奏楽部に入る」と言ったようでしたが、連日そのことで母娘喧嘩をしていたことを思い出しました。

私の中学はわりと吹奏楽部が有名で、運動部ばりに練習も盛んだったので、お母さんはお姉ちゃんが吹奏楽部に入ったことでいっぱいいっぱいだったのかもしれません(いろいろな面で)

どうやら、妹さんには「吹奏楽部には入ってくれるな」と言っているようでした。

 

4月、窓を開けて過ごす季節ですから、部活を正式に決めるまでの間、ずっとその押し問答が聞こえていました。

私も暇人なのでそのいきさつに聞き耳を立てていました。

 

妹さんが「吹奏楽部にする」と言うと、お母さんの方は「他の部でいいやんか」と、何とか吹奏楽部を諦めさせようとします。

けれど、妹さんも吹奏楽をやりたい。譲れない。

最終的にお母さんは「吹奏楽部に入られたら、お母さん、困るんよ」

 

その時は何とも思わなかったですが、今思い出すとこの「お母さん、困るんよ」

これ、何か聞き覚えある…って、今回思ったのです。

 

私は、学生時代とくにやりたいこともなく無気力に過ごしたので、お金はあまりかからない子どもではあったと思っています。

元々勉強が嫌いで、その勉強に関することではできるだけ金銭的に親に世話にならないようにと思っていたので、学習机も『姉のお下がりで十分』と、姉のをもらって、姉に新品を買うようにお願いしたし(新しいの買ったんだから、勉強しなさい!と怒られるの嫌だな、と小学校入学前に悟っていた)高校も絶対受かる公立に行くべくかなりレベルを落としました。

中学時代は美術部、短大が芸術系だったので少々画材等でお金はかかりましたが、おそらくわりとリーズナブルで、手のかからない子どもではあったはずです。

なので、学生時代にそういうことで母と衝突することはあまりなかったですが(そもそも母は子どもがどういう道に進もうかとか、あまり興味はない。将来自分の面倒さえみてくれたら子どもがどういう道に進もうが、本当にどうでも良かったのだと思う)

 

成人してからは「家に残らせないと」「婿ももらわないと」「将来面倒みてもらわないと」「お父さんの世話もさせないと」と、急にしばりがきつくなったので、そこからの方が衝突が多かった訳です。

そんな中で母はやたらと「責任が降りかかることを避けたがる」のもわかって

tari97.hatenablog.com

そういう時に「〇〇されたら、お母さん、困るんよ」によく似た言葉をよく言われていたなと今回思ったのです。

 

確かに、親にも事情があるのはよくわかります。

お金だって無限にある訳じゃないし、親だって忙しいです。

子どもの要望を全て聞き入れることなんてできないと思います。

 

けれど、「お母さん、困るんよ」

この言葉って親としてどうなのかなぁ。

言われた子どもの立場になると、どういう印象を受けますか?

対応が難しいなら難しいで、正直に理由を述べてもらう方が良くないですか。

何か、こういう言い方されると、子どもの方が『自分はいけないことを言っているのだろうか』『悪いことしているのだろうか』と、罪悪感に苛まれませんか?

少なくとも私はそうでした。

しかも20歳も過ぎた、いい大人になってからでも、です。

 

私はある時から母の思う道をことごとく外れて生きて来たから「何で母さんの言う通りにできへんの」と、まるで言う通りにしない子どもが悪いみたいにずっと言われてきましたが(というか、実際「アンタが悪い!」とも、何度も言われましたしね)

ニュアンス的に「お母さん、困るんよ」と、すごく似ています。

 

いつだって、自分が不利益にならないようにばっかり考えて、子どもの気持ちなんてお構いなし。

母の場合、むしろ「アンタにとっても、ありがたいことやねんで」と決めつけるというおまけつき。

 

そんなに縛られたら、娘は困るんよ。

ですよ、実際。

 

こんなのでも親になれるのって、おかしな話ですね。

 

結局、その後冒頭の妹さんは吹奏楽部に入ったようでした。

その後は喧嘩をすることはなくなりましたが、そこのお母さんがいつもピリピリして家族に文句を垂れているのがよく聞こえてきていたことも、私は覚えています。

 

今思うと、何だか母に似ていました。そのお母さんも。

 

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