時々、母とはランチに行ったりしますが、やはり2人っきりで会うことに私はかなり抵抗があるので、姉も含めた三人で会うようにしています。
別に私は母になんて一生会わなくても良いのですが(むしろ会いたくない)
母を病院に連れて行ったり、スーパーに付き添ったりを今は姉が全て請け負ってくれているので、時々参加することで少しでも姉への精神的な負担が減れば良いなと思って、参加しているだけです。
このメンバーで集まるとたいてい昔の話になり、母は「こんなはずじゃなかった」みたいなことを言います。
過干渉親にとって、一番面白くないのは「お母さんがいなくても、楽しく生きています」というのを見せつけること、というのも一理あると思っていて
別に復讐とかいう気ももうないし、本当は楽しくないのに無理している訳でもないけど
『あなたと離れてからの方が、人生とっても楽しく、充実しています』ということは、どうしても態度なり言葉なりで表現したくなります。
娘たちからは「母さんは(依存する&思い通りにできる)誰かがいないとほんとに生きられないタイプなんやな(そのくせに、あの態度w)」と、遠回しにバカにされ、呆れられて←もちろん( )内は言っていません
こんな食事会、楽しいか?胸糞悪くないのか?(笑)って思うんですが
それでも「家で1人でいるよりかはマシ」なほど、今の母はほかにすることも考えることもないということです。
母は1人でいたら、くだらないことを考え込み勝手に病むタイプなので
こんな会でも、楽しそうにはしゃいでいます。
そんな母を私は『バカみたい』と、とっても冷めた目で見ています。
おそらく、娘たちにそう思われているのを母も多少わかっているのでしょう。
今の自分の暮らしぶりを自分で必死にアピールし、擁護しています。
「毎日頑張って生きている!」(みんな頑張っています。頑張っているのはあなただけではないです)
「こんなふうに(老後1人に)なるとは思わんかったから!」
「病気は、予想外の出来事やったから!」
自分で「思い描いた未来と違った」ことを必死で擁護しています。
いいんじゃないですか。それが娘に偉そうにしてきた結果なんだし。
自分で擁護して、正当化しないと誰も自分を認めてくれないのも、最近わかってきたのかな(笑)
そして『母さんは本当に人がいないと暮らせないんだね』の話から
私は家に誰もいない寂しさは感じたことはないけど、逆に毎日誰かがいると想像するとぞっとするかも~と言った時
「それやったら結婚は、せん方がええなぁ!(しない方が身の為だなぁニュアンス)」ですって。
結局こういうところなんですよね。母の嫌いなところ。
母はそんな気はないのでしょうが
私は長いこと、ずっとこういう、娘を完全にバカにするみたいな口ぶりで
散々母に偉そうに嫌なことを、勝手に決めつけられて言われてきたので(「アンタは協調性がない!」だの「人に尽くすことを知らん!」だの。そして「だからダメなんだ」&「私はできるのよ!」とでも言わんばかりに)余計腹が立つのです。
そりゃ、一般的には結婚すればたいていは一緒に暮らします。
けれど、じゃあ、私みたいなタイプの人が1人も結婚していないのか?と考えたら、良いパートナーと出会い、結婚生活を送っている人だっているはずです。
「結婚したらべったり、どこに行くにも、何をするのも、2人で一緒に」の母がいかにも決めつけそうなことです。
それ以前に、今誰も結婚の話なんてしていないのですが。
おそらく母は自分の結婚生活を成功だと思いたいので、下に見る相手が欲しいのだろうなぁとも思ったり。
ついそう言われてカチンときた私は『うん。だからって(家に常に人がいたら嫌だなーって思うからって)結婚自体が向いてないって母さんに決めつけられる筋合いもないけど』と、冷たい声で言い放ちました。
これくらいのことも、母と暮らすときは怖くて言えなかったのです。
今はある意味、私の遅すぎる反抗期のようなもの。
未だに母に言い返すのは怖いけど、言われっぱなしで死なれるのも私は許したくないのです、大人げないけど、どうしても。
普段、沈黙を貫いているぶん、やはり会ってしまったら、言わずには居れないのです。
母はもう昔のように言い返しては来ません。
「そんなつもりで言ったんじゃないけど…」とは言っていましたが。昔なら(話の内容云々より、言い返されたことに腹を立てて)怒鳴っていたでしょうね。
(ちなみに私は、結婚に向かない性格!と言われたことに腹を立てているのではなく、母のそういう決めつけて偉そうに言うところに反論したつもりでしたが、おそらく母には伝わっていないと思います)
なぜ、いつまでも「〇〇なら、絶対に△△!」みたいな、自分の凝り固まった思想を変えることができないのか。
こういうふうに言ったら相手が気を悪くするってわからないのか。
「そんなたりでも、いつかずっと一緒におりたい~!って人、いるかもよ」とか
なぜそういう前向きな言葉を言えないのだろうか。
百歩譲って「〇〇なら△△」理論でもいいとして、何でいつまでも「ネガティブな表現」(できない・あかん 等)しかできないのだろうか。
くすぶり続けた私の心は、結局母を許してはいないのでょう。
『会った時ぐらいハッキリ言ってやらないと』という気分に、どうしてもなってしまうのです。
言われっぱなしだった自分がかわいそうで仕方ないから。
自分でも、ひねくれているなぁと思うけど
こんなひねくれた、ネガティブ思考の親に育てられたのだから、子がそうなるのも無理ないよなと心底悲しくなります。
そういう自分を『仕方ない』と思いながら生きるのは嫌だ!と思ったのは自分なので、諦めたくはないのだけど
結局、カエルの子はカエルなのかな、と
運命に抗うことにも、時に疲れます。
何かあればこちらへ