もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

母にとっては「あの程度のこと」なんです

趣味もない、友達もいない母が連絡してくる数少ないネタのひとつ

「昨日の〇〇(テレビ番組)見たか」

今回ばかりは『世界仰天ニュース、見たか?』と、何度こちらから母に連絡してやろうかと思いました。

tari97.hatenablog.com

姉がちょくちょく母に会っているので、姉は早速同じことを母にたずねたらしく

母いわく「途中まで見ていたけど、何だかモヤモヤして、身につまされる思いがして、途中で見るのをやめた」らしいです(笑)

そういえば以前「明日の約束」というドラマの冒頭で「私は母が嫌いだ」というようなセリフのその一文で見るのをやめたとも、母は言っていました。

もしかして、少しは自分が「毒親」というものに該当するかも?とでも、思ってきたのだろうか?少しは反省しているのだろうか??

 

そう思ったのもつかの間、姉からの話を聞いてやはり母は救いようのない、筋金入りの「毒親」だったことが、今回またわかった気がしました。

 

「自分が毒親である」というワードが母の口から出ることはないものの(まぁそりゃそうかな。実の娘でも自分の親が「毒親」かもと認めるのはあれだけしんどかったのだから)

どうやら「娘に嫌われている」ことは、自覚があるみたいです。

でも、どうしても、どう考えても

なぜそこまで自分が娘に拒絶されないといけないのか?

それがわからない

あの程度のことで自分の頑張ってきたことが帳消しになることが、どうしてもわからない

喧嘩したっていいじゃないか、家族なんだから。

だそうです。

ね。やっぱり何も変わっていません。

 

多分母はこうやって、死ぬまで自分を省みることなく生きて行くのだと思います。

私も姉も、料理がおいしかったこと、金銭的に苦労しなかったこと、姉妹で差をつけなかったこと

それ以外のことは、絶対に肯定しない。

しかし母は、その他のほぼ全てのことも「認めろ」「ほめろ」というスタンスで

(もう、産んで育ててやっただけでも有難く思え、感謝しろ!ぐらいのレベル)

自分があれだけ偉そうに言ってきたことや、娘に取った酷い態度・暴言の数々が、未だにあの程度のことな時点で、やっぱりどうしようもないな、と感じました。

 

大体、あれだけ人格を否定するようなことを言って、娘の自己肯定感を根こそぎ奪っておいて、自分だけは認められたい・ほめられたいとか、正直ふざけるなと思います。

 

なぜそこまで自分が娘に拒絶されないといけないのか?…私は何度も何度も「警告」をしました。

これ以上、その横柄な態度を改めないならば、母さんのことを嫌いになります。と。

嫌いになりたくはないから、家を出ます。と。

 

その、度重なるイエローカードを「何だそんなもの」と、嘲笑ったのは母のほう。

イエローカードって、枚数が重なるとレッドカードになるって知らなかったかな?

それでも、相当な数のイエローカードで猶予を与えたつもりだったし、ハナからレッドカードを出さなかっただけでも、有難く思ってほしいくらい。

 

でも、ここへきても、あの程度のことで=何でレッドカードなんか出されないとあかんの?なんですよね、母の場合。

 

あれがいけなかったのかなとか

実際娘が嫌だったと言っているのだから「悪いことしたなぁ」と思うとか

そう思えないのなら、もう試合に出る必要はない=娘に嫌われたまま、生涯を終えたらいい と思います。

 

前の話では、まるで自分がある時からきっちり線を引いたみたいに「控えめになるつもりでいた」みたいなことを言った母でしたが

tari97.hatenablog.com

今のこの発言を聞いたら、改めようなんて気、絶対になかったですよね。

口ではそんなふうに言ったって、根底にずーーっと

家族なんだから(何をしても、言っても許されるでしょ)

親なんだから(このくらい、いいでしょ)

という気持ちが、絶対あった

ある意味、それを暴露したようなものです。

 

「あの程度のことで」このひとことに全てが凝縮されています。

 

大体「喧嘩」ってね(笑)

母の場合「親」というだけであんなに威張ってるのに(親が偉い!言うこと聞かんかい!)

それ「喧嘩」じゃないでしょってね。

tari97.hatenablog.com

 

あのまま私が我慢して、精神を病んでまで母に合わせて生活をともにしていたとしたら

「娘に嫌われている」事実さえもつきつけられないまま、母はもっともっと調子に乗っていただろう、と思うのは自然なことだと思います。

私はもっともっと壊れていたかも知れません。

 

私は、自己肯定感の低さからか?

何に対しても『これで良かったのだろうか』『今までの選択は間違えていないだろうか』という問いかけを常に自分にしてしまう癖があるのだけれど

やはり、家を出て、母と離れたことだけは『これで良かったのだ』『今までの選択は間違えていない』と思うことができました。

 

何かあればこちらへ

お問い合わせ