趣味もない、友達もいない母が連絡してくる数少ないネタのひとつ
「昨日の〇〇(テレビ番組)見たか」
今回ばかりは『世界仰天ニュース、見たか?』と、何度こちらから母に連絡してやろうかと思いました。
姉がちょくちょく母に会っているので、姉は早速同じことを母にたずねたらしく
母いわく「途中まで見ていたけど、何だかモヤモヤして、身につまされる思いがして、途中で見るのをやめた」らしいです(笑)
そういえば以前「明日の約束」というドラマの冒頭で「私は母が嫌いだ」というようなセリフのその一文で見るのをやめたとも、母は言っていました。
もしかして、少しは自分が「毒親」というものに該当するかも?とでも、思ってきたのだろうか?少しは反省しているのだろうか??
そう思ったのもつかの間、姉からの話を聞いてやはり母は救いようのない、筋金入りの「毒親」だったことが、今回またわかった気がしました。
「自分が毒親である」というワードが母の口から出ることはないものの(まぁそりゃそうかな。実の娘でも自分の親が「毒親」かもと認めるのはあれだけしんどかったのだから)
どうやら「娘に嫌われている」ことは、自覚があるみたいです。
でも、どうしても、どう考えても
なぜそこまで自分が娘に拒絶されないといけないのか?
それがわからない
あの程度のことで自分の頑張ってきたことが帳消しになることが、どうしてもわからない
喧嘩したっていいじゃないか、家族なんだから。
だそうです。
ね。やっぱり何も変わっていません。
多分母はこうやって、死ぬまで自分を省みることなく生きて行くのだと思います。
私も姉も、料理がおいしかったこと、金銭的に苦労しなかったこと、姉妹で差をつけなかったこと
それ以外のことは、絶対に肯定しない。
しかし母は、その他のほぼ全てのことも「認めろ」「ほめろ」というスタンスで
(もう、産んで育ててやっただけでも有難く思え、感謝しろ!ぐらいのレベル)
自分があれだけ偉そうに言ってきたことや、娘に取った酷い態度・暴言の数々が、未だにあの程度のことな時点で、やっぱりどうしようもないな、と感じました。
大体、あれだけ人格を否定するようなことを言って、娘の自己肯定感を根こそぎ奪っておいて、自分だけは認められたい・ほめられたいとか、正直ふざけるなと思います。
なぜそこまで自分が娘に拒絶されないといけないのか?…私は何度も何度も「警告」をしました。
これ以上、その横柄な態度を改めないならば、母さんのことを嫌いになります。と。
嫌いになりたくはないから、家を出ます。と。
その、度重なるイエローカードを「何だそんなもの」と、嘲笑ったのは母のほう。
イエローカードって、枚数が重なるとレッドカードになるって知らなかったかな?
それでも、相当な数のイエローカードで猶予を与えたつもりだったし、ハナからレッドカードを出さなかっただけでも、有難く思ってほしいくらい。
でも、ここへきても、あの程度のことで=何でレッドカードなんか出されないとあかんの?なんですよね、母の場合。
あれがいけなかったのかなとか
実際娘が嫌だったと言っているのだから「悪いことしたなぁ」と思うとか
そう思えないのなら、もう試合に出る必要はない=娘に嫌われたまま、生涯を終えたらいい と思います。
前の話では、まるで自分がある時からきっちり線を引いたみたいに「控えめになるつもりでいた」みたいなことを言った母でしたが
今のこの発言を聞いたら、改めようなんて気、絶対になかったですよね。
口ではそんなふうに言ったって、根底にずーーっと
家族なんだから(何をしても、言っても許されるでしょ)
親なんだから(このくらい、いいでしょ)
という気持ちが、絶対あった
ある意味、それを暴露したようなものです。
「あの程度のことで」このひとことに全てが凝縮されています。
大体「喧嘩」ってね(笑)
母の場合「親」というだけであんなに威張ってるのに(親が偉い!言うこと聞かんかい!)
それ「喧嘩」じゃないでしょってね。
あのまま私が我慢して、精神を病んでまで母に合わせて生活をともにしていたとしたら
「娘に嫌われている」事実さえもつきつけられないまま、母はもっともっと調子に乗っていただろう、と思うのは自然なことだと思います。
私はもっともっと壊れていたかも知れません。
私は、自己肯定感の低さからか?
何に対しても『これで良かったのだろうか』『今までの選択は間違えていないだろうか』という問いかけを常に自分にしてしまう癖があるのだけれど
やはり、家を出て、母と離れたことだけは『これで良かったのだ』『今までの選択は間違えていない』と思うことができました。
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