もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

母が「生きづらさの種」を蒔いていたのだと思う

母の「ここだけは良かった」という部分で「姉妹で比べることをしない」というのもあるのですが「今そこにいない家族の悪口を言う」というのは、母は日常的にやっていました。

あくまでも「本人たちの前で比べるようなことは言わない」だけで

姉だけでなく、父のこともよく悪く言っていたし、私のいないところで私のことを言われているのだろうな、というのも昔からわかっていたし、姉や父から「母さんが言うてたで」と聞いたこともあります。

 

と言っても、おそらく母自身は悪く言っているつもりはなくて、多分「事実を述べているだけ」(いつもの「思ってること言っただけ。何が悪いん?」)で

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その「表現方法がえげつなかっただけ」なのだと思います。

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そういうのを、本人たちの前で、姉妹で比較しながら言わなかっただけマシ、といったところですが、今思うと何であそこまでわざわざ言わないと気が済まないのか?ああいう嫌なものの言い方しかできないのだろうか?と悲しくなります。

 

姉は昔から時間にちょっとルーズなところがあって、子どもが産まれてから実家に遊びに来る時なんかも言った時間より大体遅れて来ていました。

と言っても、実家に帰るだけだし、子どもが小さいと思い通りの動きなんてできないし、まぁそんなもんだろうと私は思っていましたが

母はいつも「来るの遅いな!」「また1時間2時間遅れやな!」「たりは時間にきっちりしてるけど、姉ちゃんはあかんわ。何でやろな!」と、姉が到着するまで言っていました。

最後の言葉で「姉妹で比べてるやん」と思ったかと思いますが、それを「2人がいる前では言わない」というだけの話です。

(どちらか片方、いない方の悪口をもう1人に言うというのは、日常的にやっていたということで、それは父相手にもあてはまります)

本人的には「事実を述べているだけ」なのでしょうが、言い方にも問題があるので、結局聞かされる方には「悪口」にしか聞こえないし、不快なのです。

 

姉が一度だけ、合わない職場をすぐに辞めた時も「何故そういう言い方しかできないのだろう」と、嫌な気分になったことがあります。

 

姉も私と同じく、波長の合わないところではなかなか馴染めず、自分を守るためにやむを得ず退職の選択をしたそうなのですが

母はまた内情もわかりもしないのに(と言うか、誰のせいでそこまでの生きづらさを抱えてるか、まずそれを自覚してほしいが)「大体、あんな職場行く前からあかんってわかるやん!」とか、私に言ってきました。

 

これも、何で「あかん」とかマイナスの表現しかできないのだろう。

「今回は残念やったけど、またいいとこ見つかるといいね」とか、なぜそういう前向きなニュアンスでものが言えないのだろう。

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結局、母自身がいつも後ろ向き・マイナス思考・何でも悪い方にしか考えられない(そのレベルが病的)であり、精神的に未熟だった証拠だと思います。これは本当に、母の残念なところです。

またその考えを、子どもにまで押し付け、共感の強要をしてきたことに腹が立つのです。

こういった言動が多すぎたことも、子どもたちが異様な生きづらさを抱える原因のひとつになったであろうと、私は思っています。

 

被害者ぶる訳ではないけれども、こうやって考えていると私の家には子どもが生きづらさを抱えたり、卑屈な考え方になる原因になるような種が母の手によっていっぱい蒔かれていたのだなぁと思います。

 

母に支配されていた頃は、それに気づかず生きづらさの芽はどんどん出、大きく育ってしまっていましたが

私は絶対にこれ以上、それが育たないように

育ったものはへし折ってでも、生きてやろうと思います。

 

 

 

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