もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

「家族」が崩壊した理由を考えてみた②

幼い頃は家族4人、仲良く暮らし(ていると思っていた)、自慢の家族でしたが

なぜ私の家族はこんなくだらない末路になったのか?は前に書きました。

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では、何がどうなっていれば私の家族はあんな風にならずに済んだのか?と、最近考えていました。

 

こうなった一番の原因は両親(特に母親)の幼稚さが招いたことだと思っていて、両親ともにもう少し家族というものを敬い、謙虚な気持ちで過ごしてくれていたら変わっていたと思います。

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しかし、私の両親は、それをできる器の人間ではなかった訳です。

 

父は酒が飲めて、幼い子どもがそばにいればそれだけで幸せだったようですが、それはある意味「酒飲んでふわふわして、子どもを可愛い可愛いと言うしか能がなかった」とも言えます。

事実、暴力や暴言こそなく、父はかなり温厚ではあったものの

嘘か本当かわからない父のテキトー発言に、幼かった姉も私もずいぶん振り回されてきました。

それでも幼い頃は「陽気なお父さん」が好きだったし、鬼のような母のどぎつさを調和していたのもまた父でした。

 

そうやって、子どもが小さいうちにキャッキャウフフしている時はよかったですが、娘も成長しだんだんと父の温厚な部分より「テキトーに発言しすぎ」なところや「酒にだらしない」部分に嫌気がさしてきます。

 

その上、父は娘がいい歳になってもなお、幼い頃に私たちが本気で信じてしまっていたような『そんなわけねーだろ』みたいなことを調子づいて口にし

娘がいくつになっても「危ないでぇ」「気ぃつけよぉ」と、小学生くらいの子に言うような口ぶりで言う癖が治りませんでした。

 

結局父も「娘はもう立派な大人なんやなぁ」という一線を引けず、いつまでも「幼い姉ちゃんとたりちゃん」の幻想から、卒業できなかったのだと思います。

しかし、実際目の前にはもう大人になった娘しかいません。

酒+子ども=全て だった父の人生から、子どもを取るとまさしく「酒」しか残らなかった訳で、その末路が、家中に酒を隠し、真昼間から酔って転ぶ程酒に溺れたあの父でした。

ある種、父も想像力が欠如していたと思わざるを得ません。

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とにかく、父も母もタイプは違えど、自己中で精神年齢が低すぎるので、娘が成長して大人になればなるほど、親として都合の悪くなることも増えていたのだと思います。

 

そういうことを考えていると、私の両親の家庭生活って何だかおままごとみたいだったなという印象を受けた訳です。

 

子どもの頃、おままごとをやったことがあればわかると思いますが、はじめにみんなで役割を決めます。

大体、仕切りたいみたいな子が「お父さん」「お母さん」の座を獲得し、張り切って「あーしなさい」「こーしなさい」「ご飯ができたわよー」等と、仕切り始めます。

 

ちなみに私はおままごと自体は好きだったけど、まずこの仕切りたがり数名がいつも親役をやりたがって一悶着あることに『めんどくせーな』と思っていたので、真っ先に「子ども役」をかって出ていました。きょうだいは何人いても良いからです(たまに仕切る子が「子どもが多すぎる」とか言い出してめんどくさくなって『じゃあイヌかネコで』と言ったことも(笑)⇦ 本当に冷めた子どもでした(笑))

 

話が逸れましたが

色々ありながらも、子どもたちはおままごとを繰り広げるわけですが、子どもばかりの、みんな同じ年頃の中の仮想の世界だからこういう遊びは成り立つ訳で

そこへもし「本当の大人」が、真面目に入ってくると「おままごと」は成立しなくなります。

例えばそこに急に「私は36歳だから、あなたがママだとおかしいわよ」と、本当に36歳の人が入ってきては、それはもう「おままごと」ではなくなってしまいます。

 

私の家にも結局そういうことが起きたのでは?と、感じた訳です。

 

新婚の頃、幼稚な父と母がおままごとのような生活を送っていたところに、本当に幼い姉と私が生まれた時は、おままごとの延長で成り立っていたのでしょう。

さっきのおままごとの役決めのように、何となく親っぽいことはしてはいましたが

相手の立場になって物事を考えるとか、家族同士感謝し励まし合って過ごすとか

そういう精神的な成長のないまま、とりあえず子どもが産まれたから、肩書が「父」「母」になっただけ

だんだん子どもは成長し、いつしか親をも越えて本当の大人になってしまったので

先ほどの36歳の人が入ってきて、おままごとが中断されるのと同じように「娘が大人になったことによって」幼稚な両親の歯車が回らなくなり、私の家庭は崩壊したのだと感じたのです。

 

父は娘をいつまでも子ども扱いするので、その度に母が「もう2人ともコドモやないねんから!」と怒っていました。

しかし母だって十分、娘を子ども扱いしていました。

そもそも子どもを自分の思い通りに動かすということしか頭になかったので、子どもが小さいうちは権力でねじ伏せ

それなりに投資もして「こんなにしてやった」という押し付けと、それを子が拒絶することへの罪悪感を抱かせることにより「子どもの精神的な成長」を食い止め、自分の存在価値を見出そうとしていました。

そうでもしないと、せっかく得た「親」の肩書をふりかざせませんからね。

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以上のことから、現実的かどうかは度外視して、こうなっていれば家族4人がずっと仲良く暮らせていたのかも?ということについては

子どもが子どものまま成長をしなかったら丸く収まっていたのかも知れません(絶対にありえない話ですけどね)

 

 

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