もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

交友関係においての洗脳について

私は、元々友達があまりできず、恥ずかしい話、学生時代の友人とは全て切れてしまい

今遊んだりするのが全て社会人になってからできた友人ばかりです。

 

別に昔から意識的に友達を作らなかった訳ではなく、友達の多い人は純粋に羨ましいとは思っていたし、自分なりに色々と試行錯誤はしていたのですが

友達のできなかった根本的な原因が最近何となくわかってきた気がします。

 

異様な自己肯定感の低さについて、恋愛において相当足かせになっている自覚はありましたが、友人関係においても同じことだったのだと思います。

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今でこそ、自己肯定感が高まった訳ではないけれど、他人に対して過度に期待をしてみたり、意味もなく卑屈になってみたり、そういうことをしないという部分では昔よりもできるようにはなってきました。

開き直ってると言うと言葉が悪い気がしますが『私はこんな感じやけど、合わない人もいるわな。仕方ないわな』みたいな感じでラクに考えるようにしています。

昔は嫌われたり、悪く思われることを異様に恐れていて、こんな風に考えることが全くできませんでした。

 

自分に自信がない分、本音で話せないし『どうせいつか嫌われるのだろうな』という卑屈な気持ちが根本にあるので、どれだけ外面が良かったとしてもそういうのは相手にも伝わるのでしょう。

だから、みんな離れて行っていたのだろうなと今になれば思います。

 

つまるところ、結局私の方が友達ができるチャンスを遠ざけていたと言うか

最後の最後に、自分の心の内を見せない、簡単に言えば他人を全く信じていなかったのだなと思います。

 

それから、母には昔から

例えば学校の先生だとか、職場の人だとか、そういう人とは仲良くする必要はない

学校には勉強さえ習いに行けば、職場は金さえ稼げればいい

みたいなことをずっと言われていて

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「家族こそが全て!」な母の考えに、結構いい歳になるまで私自身も洗脳されていた自覚はあって、それが人を寄せ付けない原因だったのだろうとは思います。

 

職場の人にはいい意味で一線引いても良いとは思うのですが、母の場合は「ゼロか100か」で

今思えば、私って(普通に会話は交わすものの)なんとなくバリアを張っているような雰囲気だっただろうなと自分でも思います。

 

元々ませてはいたので、学生の頃なんかも生意気だった自覚はあるし、母みたいにバシッとものを言うのをかっこいいと思って、同じようなことをやって失敗したこともあります。

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学生時代の失敗は大体がこれかな。

 

そのうち母からの監視が厳しくなると、理由を言って家を出ることさえ億劫になって

(一時期、母は『ちょっとそこまで』でも、延々何しに行くのか等聞かないと気が済まないようだった)

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彼氏どころか、友達を作る…要は「外部との繋がりを持つこと」すら、面倒になっていた時期がありました。

 

最近、その時期に行ってた職場の人と連絡を取る機会があったのだけど、その時の同僚からは「たりさんて(当時は20代前半でしたが)何だか、おばあちゃんみたいな生活してたよねぇ~」と、言われてしまいました(笑)

 

それでも、当時も『うちの家おかしくない?』と思いながらも反発はしていなかったので

読んでいる人の中には「嫌なら嫌と、反発すればよかったやん」と思う人もいると思います。

が、毒親育ちにその言葉はご法度なのは、同じ境遇の方ならわかって頂けると思います(笑)

 

毒親育ちはそもそも『反発をしたい』とか以前に『これが当たり前。普通だ』と思っているのですが

ある時ふと、周りの人と同じように事が運ばないとか、何かが起きた時に初めて親や家のおかしさに気がつくし、その、気がつくタイミングも様々なので…。

 

結局こういったことが原因で、本来若い頃にみんなが通ってきたであろう道を今さら歩いているような感覚になることもしばしばあります。

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もうアラフォーに片足をつっこんでいるけれど『母のために!』と生きてきた、10代後半~20代をもう一度生き直している感じかな。

そのやり方は賛否両論あると思うし、私が勝手に『青春っぽい』って思っているだけなので割愛しますが。

 

では、なぜ今になってそんなことがぱっと霧が晴れたようにわかってきたのか?

 

もちろん、さっき書いたような私の考え方の偏りや態度のまずさにも問題はあったけれど

「外部との繋がりをつくり、友達と何かを楽しむ」ということに、なんとなく母に対して申し訳ないような、悪いことをしているような気持ちがあったことにも、最近気がつきました。

 

母にもしそう言ったって、そんなことをたりに思わせる気は毛頭ない、たりに友達ができるのは喜ばしいこと!みたいに言っていたとは思うけど

実際母の態度が全くそうではありませんでした。

 

昔からさっき書いたみたいな「他人なんて」みたいに言う母の洗脳に加えて

私が機嫌よく友達との話をしたって、いつも興味なさそう・気に入らなさそうに聞いているのに

ひとたび『〇〇ちゃんと喧嘩した』とか、そういう話をすると母は嬉しそうに「それ見たことか!」「な?他人なんて所詮そんなものやで」みたいな言い方をされてきました。

軽く愚痴っただけでも「だからあんな子、お母さん、あかんと思っててん」みたいなことを言われるので、私もそれを真に受けていたわけです。

 

結局母は、私が外部の人と繋がりを持つとそれだけ家族を蔑ろにされている感じがして、嫌だったのだろうなと思います。

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だから、娘の恋愛も素直に喜べないし

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何かにつけて、外部の人にはすぐに悪態ついて、自分アゲ・家族アゲしないと気が済まなかったのだと思います。

 

「そんなの、無視したらいいやん」

そんな声も聞こえてきそうです。

 

そうですね。

今思えば、幼少期はともかく、いい歳になってまであそこまで母に合わせる必要はなかったと思います。

 

しかし、毒親のもとで育つと、母の思惑通りにできない自分はとんでもなく親不孝者なのかな?とか、何か悪いことをしている気になるのです。

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虐待を受けている子が逃げ出さずに最悪の事態になるまで我慢してしまうのと、肉体的・精神的な違いはあれど、似ていると思います。

『自分がいけない子だから』『自分さえ親の言う通りにしておけば』と信じ、親の言いなりになる面に関しては。

 

もちろん、子どもに暴力をはたらく親は最低です。

 

しかし、自分の思惑通りに子どもを動かしたいからって、子どもにマインドコントロールをして支配することも、十分精神的な " 暴力 " だと言えます。

 

 

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