もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

共感できない「オカンあるある」

最近、よく見ているインスタのアカウントがあります。

しゃかりき 光さんの【頑張るお母さんシリーズ】。

 

このお母さん、ちょっとウザいのですがお茶目な感じがおもしろい。

しかし

全然共感できるとこない…!

 

残念ながら、あの動画を見ていても

『うちなら、子どもが言い返した時点で「親に向かって何やその口の聞き方は!」ってなるから』

『そもそも、母とこんなふうに対等なやり取りやコミュニケーション自体、成立しないから』と脳内ツッコミが始まって

『いや、でも確かに友達はこんな感じでオカンとフランクに話してたわ』と、遠い目になります。

何て言うかな…『こんなお母さんだったら良かったのになぁ』という、憧れのような気持ちで見てます。

 

 

私は昔から、友達の家に遊びに行くのが苦手でした。

 

1つ目の理由は、友達の親にどういう挨拶をすればいいか、わからないから。

 

母親からは、あまりしつけを厳しくされた記憶はないのですが、母独自のこだわりややり方に合わせる事を強要されていたことは多く、幼い頃はそれを「しつけ」だと思って従っていました。

 

なので、肝心な「こういう時には、こういう挨拶が適切」みたいな、TPOに合わせた挨拶や決まり文句みたいなものを、全く教わりませんでした。

tari97.hatenablog.com

 

そのため、友達の家に遊びに行っても、何て言ったらいいのかわからず

友達のお母さんに「たりちゃん、黙って入るんじゃなくて、お邪魔します、だよ」と、注意された記憶があります。

 

複数人で遊びに行くと、誰かが率先して「お邪魔しまーす!」と言うので

『人の家に上がる時には、そうやって言うのか』と、だんだんわかって、それを真似していった感じ。

こうやって、ほかの友達の真似とたまに友達の親に指摘をされて吸収したこと・覚えたことが私はたくさんあります。

 

2つ目の理由は、友達のお母さんが怖いから。

これは、実際に怖いお母さんが居た、という意味ではなく

お母さんというのはみんな、うちの母のように、訳のわからないところで怒りのスイッチが入ったり、こちらが泣くまでやり込めるような恐ろしい存在だと思っていたので

友達のお母さんの前でもオドオドして

「お母さん」という存在が同じ家の中にいると思っただけで怖くて楽しめなかったのです。

 

私の家はよくある一般的な2階建ての家で、子ども部屋は2階でしたが

自室で床に物を落としたり、ちょっと階下に響くような音を立てただけでも「何や今の音!」と母が怒鳴りに上がって来ていたので

友達の家でも物音を立てないように気をつけて遊んでいました。

 

だんだん、中学生くらいになると友達とそのお母さんの会話のフランクさに驚き

隣で会話を聞きながら『お母さんにそんなに偉そうな口の聞き方して大丈夫なの?』と1人でヒヤヒヤして

『もしかして、私がいるからお母さん怒ってないだけで、私が帰った後に友達めっちゃ怒られるんちゃうん…』と、本気で思っていました。

 

他の家のお母さんがみんなうちの母のような感じではないことに気がついたのも、20歳くらいになって、やっとでした。

母に対する恐怖心がなくなったのなんて、ついこの間のことです(私は今年37歳になります)

 

お母さん=恐ろしい生き物

という図式がずっと頭にあったから、どうしても「優しい」とか「朗らかな」お母さんには違和感を抱いてしまうのです。

 

【頑張るお母さんシリーズ】の動画を見た時も『こんな声掛け、オカンがしねーよ』と思ったものの、共感コメントの嵐に『へ~…そうなんだ…』と、何とも言えない気持ちに…。

 

もうこの年になると、友達の親と絡む事はそうありませんが

今思い出すだけでも、友達のお母さんと比べてみて

私の母親のどぎつさはやっぱり異常だったなと思わざるを得ません。

 

私は、親に関しては相当貧乏クジを引いたんだな…と、昨日考えていました。

 

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