もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

こんな簡単なことなのに

私は昔から、自分自身の感情に素直に生きて来れている!と思っていたけれど

母が怖いから・うるさいから・めんどくさいから…が理由で

ほんとは嫌と思っているのに、嫌と感じる感情にフタをしていたこと

それにすら気が付かないまま従っていたことが多すぎたことに、家を出てからやっと気が付いたので

「本当はやりたくなかったことを、やらない」ことへ目を向ける作業を日々しているとは前に書きました。

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それでもいまだに『実はあれもほんとは嫌だったな』と思うことがどんどん出てきます。

毒親のもとでは感覚が麻痺しているみたいなことをよく聞きますが、まさしくそうだったのだと思います。

麻痺させないと、生きて行けなかったが正しいですが…

 

それで最近また気が付いたのですが

私は今1人で暮らしているので、何時に何を食べようが勝手なんですけど

いまだに『これ、今食べたら昼食べるものがなぁ~』とか、要らぬ段取りを頭の中で考えてしまう癖が抜けません。

 

その度に『別に好きな時に好きなもの食べたらええやん』『今、これ食べたいんやから、食べたらいいやん』と、自分に言い聞かせるようにしています。

 

おそらくこれは、母の「食」へのこだわりが強迫観念のようになっていたので、それに合わせて暮らしていた名残ではないか?と感じています。

 

母は来る日も来る日も、家族の食事のこと(と、お金のこと)しか考えていませんでした。

 

最近姉と話した時も、昔、父・姉・私で流行りの歌やテレビ番組の話をよくしたけど、母だけその場にいるものの、輪に入らずに黙っていたこともよくあって

『ああいう時って母さん、一体何考えてたんやろ?』という話になったのですが

多分エンドレスで、夕飯の材料⇒夕飯のメニュー⇒明日の朝のパン⇒弁当のおかず⇒…以下続く

の事しか、考えていなかったのだと思います。

 

実際、母は昔「仕事中も、献立のことしか考えてないねん♪」と、よく自慢げに言っていました。

 

責任感が強いと言えばそうなのかも知れませんが

母は手の抜き方を知らないので、いつも1人でこのループに飲まれては、定期的にキレて、食卓で喚き散らしていました。

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最近姉がこういう母を血眼になって料理していたと表現しましたが、まさにその通りです。

喚き散らされるくらいなら、たまには出前や外食で良かったのに…と何度思ったか。

 

母自身、強迫観念のようにご飯を作っているから、こちらも毎回フルテンションで『わぁ~~い!!お母さんのご飯だぁ!!!』と、腹ペコで食卓につかないと、気に入らないのでしょう。

時々母に『今日あんま食欲ないねん』と恐る恐る言って「ほんまか。ほな後で食べれたら食べ」というようなリアクションだと胸をなでおろしていました。

 

そういう母の食への考えの偏りが、家族への押し付けがましい、脅しのような言動の発端になっていたのだと思いますし

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私の食へのストレスになっていたことに気がついたのもつい最近のことです。

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実家にいた時は、母が食事に関して常にああだこうだ言っていたので

例えば、作り置きのおかずや白米の残り具合を見ては「全然食べてないやんか」「ご飯こんなに食べたら足りひんやんか」等

自分の思うサイクルが乱れることを母は嫌っていました

(おそらくこれは異常な守銭奴であることで「余ったらもったいない」という気が根底にある)

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そのため、無意識レベルで『これ食べてしまっていい?』『明日の分置いとく?』等と、恐る恐る母に逐一確認していたなぁと。

 

確かに「お腹空いてないか?」「何か作ったろか?」と言う母の声掛けも、ありがたかったけど

本来それは子どもが大人になれば徐々に手を離して行くものだと私は思います。

 

しかし母は、いつまでも娘たちが小学生のときのように『わぁ~~い!!お母さんのご飯だぁ!!!』と思っていると、本気で思っていたようです。

 

鳥のヒナが、口を開けて親鳥がエサを運んでくれるのを待っているイメージ。

確かに、学生時代はヒナが口を開けて待っているように、姉も私も母の食事を楽しみにしていました。

(しかし、姉も私も必要以上に「母のご飯にフルテンションで応える」パフォーマンスも、していました(しないと不機嫌になるから))

 

その割に、自分がキャパオーバーになると「アンタたちはご飯を口を開けて待ってるだけやもんな!!」とも、よく怒られました。

 

私がいい歳になってからは、母の手料理には母の手料理の、外食には外食のよさがあることを何度も母に口頭で説明しましたが

母の「家のご飯が一番!」という信念が変わることはなく(そこでしか自分の力を誇示できないから)

私が外で楽しそうに食事をして帰って来ると不機嫌になり、いくらかかったかを聞いてきて(外食はもったいないニュアンス)不快なので

そのうち外食に行っても大体『美味しくなかったよ』とあしらうのが当たり前になっていました。

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母のそういう考えからくる、血眼になって料理を作る姿勢、それに応えなければ定期的にキレるという部分も改善されることはなく 

私が加齢とともに母の手料理への価値観が変わることも、認めようとしませんでした。

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こういう、私の家では当たり前だった食に関しての一連の流れが、いかに母の押し付けであり異常であったか

それに気が付いてからは、食事を作ってくれていた母から離れた事への罪悪感はなくなりました。

しかし、いまだにその頃の考えの癖のようなものが、染み付いていると感じます。

 

本来、食事なんて「食べたい時に食べたいものを好きなだけ」でいい。

こんな簡単なことを、1人になってもなお、一旦立ち止まらないとできない自分に嫌気がさします。

 

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