もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

「母」が主語の価値観

昨年から、好きだった高校野球をまた見れるようになったとは書きました。

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今年も問題なく見ることができていることを嬉しく思っています。

しかし、またひとつ、気が付いてしまったことがあります。

 

私が野球に一番ハマったのが、中学~高校くらいの頃でした。

中学の時は野球部に好きな子がいて、高校になったら、野球部の彼氏を作ろう!とか、女子マネになろう!とか思って

キラキラした高校生活を送るぞー!と意気込んでいたものの

高校に入るとどんどん精神状態は悪くなって、部活どころか毎日学校に通うのもやっとといった状態になってしまって

思い描いていた高校生活とはかけ離れた生活を送っていました。

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何とか自分を奮い立たせていたものの、精神的には相当きつかったし

こういう我慢が積み重なり、成人後に感じる生きづらさの原因になったのではないか?ということもわかってきました。

 

自分が若い頃は高校野球も、ただ『かっこいい!』というミーハーな気持ちでしか見ていませんでしたが

だんだんと選手の年齢が自分よりも年下になった頃から、自分の学生時代と比べてしまい、何とも言えない惨めな気持ちになるので、必死にそう感じる自分から目を背けて生きていました。

キラキラした高校生の姿を見ると、自分の暗い学生時代と比べてしまい、自分が惨めで悔しくて仕方ありませんでした。

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そのうち自分の本心をごまかす事すらできなくなり、見るのをやめてしまった訳です。

ここまでは、昨年気がついたことです。

 

そして最近、また高校野球を見ていて、気が付いたことです。

ピンチの時に逆転の安打を打って、テレビ画面にアップで映る選手の嬉しそうな笑顔を見た時に

『こんな子どもやったら、親は誇らしいやろうなぁ』と、思いました。

その時に、ハッと気がついたのですが

 

なぜ、親目線の感想なのだろう…??

 

思えば、選手が自分と同世代くらいになってきたあたりから、純粋に『かっこいいな』『すごいな』ということよりも、実際にこういうセリフばかり言っていたように思うし

姉と会話する時も高校野球に限らず、例えば芸能人とかアーティストとかにしても

「若くして、活躍している人」を見ると姉も私も必ずこういった類のセリフを言っていたように思います。

 

確かに我が子が甲子園という大舞台に立ち、野球をやれるということは、親にとっても誇らしいことだと思います。

 

けれど、試合をしている選手に対し、本人のうれしい・楽しい・辛い・悲しいなどの気持ちを考えたことなんてほとんどなくて『親はどう思うのだろう?』ばかり、考えていたなぁと…。

 

私はずっと自分を出来の悪いどうしようもない娘だと思っていたし

親が堂々と自慢できるような子ではないのだろうと思って生きていました。

 

母はよく「娘が居てよかった」というセリフは言っていましたが、ただそれは「自分に都合よく動かせる娘が居ること」が嬉しかっただけで

「私である必要」は、ないのだろうなということも、20歳になったあたりから感じてはいました。

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『こんな子どもやったら、親は誇らしいやろうなぁ』

姉も私も、今まで何気なく言っていた言葉ですが、よく考えるとぞっとしました。

 

親がどう思うか?にしか目が行かないということは

私たちが生きていく上で、あの家で暮らす中で、いかに

 

母からどういう評価を受けるか?

母にはどう思われるだろうか?

母に何て言われるだろうか?

 

ということがウエイトを占めていたかという証拠ではないでしょうか。

 

ここにもまた「母」が主語の価値観が隠れていたような気がします。

こういう考えに気が付くと、本当に胸糞悪いのですが

せっかく気が付いたのでこれから手放せて行けたらと思います。

 

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