もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

19歳の自分へ

毒親問題の解毒には、昔自分が感じたこと、考えていたことをじっくり思い出し、当時の自分の思いを肯定することで昇華されることも多くあると思っています。

当時の音楽を聴いたり、実際その場所に行ってみたりして、できるだけ当時の自分の想いを事細かに思い出すようにしています(今、自粛でゆっくり考える時間があり、ある意味助かっています)

 

私の今住んでいる場所は自分の通っていた短大のわりと近くなのですが、その短大は数年前に廃校となり、校舎のあった場所は新しい住宅地となってすっかり様変わりしました。

 

この周辺は、所々に昔のままの細い道や古い建物が混在していて、元々「下町」みたいな雰囲気が好きな私は、高台にある実家の住宅地よりも今の家の周辺環境の方が気に入っています。

県外から短大に来た子は「もっとハイソな街だと思った…」と嘆くのをよく耳にしたものですが😅

 

先日、ウォーキングがてらに短大のあった場所のそばまで歩き、そう言えばあの辺りに県外から来た子(女)がアパートを借りて住んでいたなぁと思い出し帰ってからストリートビューで探してみたのですが結局アパートは見つかりませんでした。

既に断片的にしか記憶はないけれど、当時一度だけその家に遊びに行った事があります。

 

「〇〇荘」と壁に書かれた「いかにも」なアパート(いわゆる文化住宅)で、外観を見た時衝撃を受けましたが、中の広さはそこそこあり、綺麗に片付けられていて、古くてもまぁまぁいけるもんだなぁと感心したのを覚えています。

芸術系の専攻だったので、ある程度画材を置いたり、作業するスペースが必要だったのでしょう(同じくらいの家賃で新しい物件だと広さが足りない)

 

そこから私は賃貸物件の載ったフリーペーパーを持って帰って来てはよく読むようになり、1人暮らしへの憧れが強まりました。

 

けれど母が1人暮らしを容認する訳ないのはわかっていたし、短大は実家から通える距離で必要性もないので『住めてもあんな汚いアパートじゃあな』と、心の中で友人の家を貶すことで自分の気持ちを抑えていました。 

その後も、1人暮らしを始めた友人の部屋に遊びに行ったりテレビでお金のない学生の家に行く番組を見たりすると胸のあたりがモヤモヤしていましたが、結局私は長年そのモヤモヤに蓋をして暮らしました。

 

そして最近、また家周辺をウォーキングしていた時に、ふと細い道に入ると、当時友人が住んでいたような古いアパートが急に現れたりして、当時感じたその「モヤモヤした気持ち」をゆっくりじっくり、思い出してみることにしました。

 

その友達の家に行った後、私は母にいつものお決まりのように『友達の家さぁ、〇〇荘みたいなめっちゃ汚いアパートでびっくりした』とわざと友達のアパートを大げさに貶して話しました。

それは『自分の家は広くて綺麗でよかったよ』と暗に母に伝えることであり、思えば私はこうやって他人を下げて母の機嫌を取ることを、昔から当たり前のようにやっていました。

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それでも当時、私は本当は内心彼女が羨ましかったんです。

けれど、あんな汚い古いアパートに住みたいの?自分が?と、自分に問うては『羨ましい訳ないないw』と自分に言い聞かせていて、嫉妬する部分なんてひとつもないはず…と、本当の自分の心と向き合わないようにしていました。

だって、自分は生活費の心配なんて全くせずに、短大に通えるし…

あんなボロアパートの彼女が羨ましいだなんて…

なんて罰当たりな娘!とまで当時は思っていましたが

 

最近、やっとわかりました。

 

確かに「1人暮らしをしている」という物理的なところもそうだけど、彼女が親から1人の人間として尊重してもらえていることが羨ましかったのだと。

 

私の母は、生まれた時から姉や私を洗脳し、娘が家の近くから離れることを徹底的に阻止してきました。

大学は通いしかだめ、同棲はだめ、旦那は転勤のない人を…

私は他の人もみんなそうやって育てられているのだと、ずっと思って生きていました。

大学や就職で実家を離れる人って、基本的に男性か、よほどのっぴきならない事情がある人なんだと本気で思っていました。

 

それなのに、まさにそのルールに当てはまらない子が弱冠19歳にして目の前に現れたわけです。

当時は私も「過保護こそ親の愛」と信じて疑わなかったので『親は何考えてんだ?男ならともかく…』と本気で思いましたが、その反面『羨ましい』という気持ちが確かにありました。

 

毒親は基本的に、子どもを1人の人間として尊重せずに育てます。

過干渉親の場合「精神的に」です。

 

母は1人では何もできないので寄生虫のように旦那に依存し、旦那がだめになれば次は娘…と依存する対象を手放さないように、子どもには事あるごとに「できっこない」「あなたには無理」と無力さを植え付け育てて来ました。

「お母さんが居ないと困るでしょ」という切り札をいつも持っていなくてはならないからです。

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友達のことを『羨ましい』と思う自分と、それを『罰当たりな』と責める自分との葛藤から、私は目を背け、ただ『1人で暮らせているという物理的な部分にだけ、羨ましいと感じているだけだ』と自分に言い聞かせていただけでした。

それが、当時感じた「モヤモヤ」の正体でした。

 

あんな風に育てられてきた私が、1人の人間として尊重されている(=実家を出て、好きなことを目いっぱいやれる環境を、親も容認して応援してくれている)彼女を羨むことは罰当たりどころか至極当然のことだったと言えます。

 

『彼女を羨むことは、悪いことでもなんでもない』と感じることで、またひとつモヤモヤを手放すことができたように思います。

ここまで、約20年もかかりましたが。

 

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