もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

私のかつての病気について

前回の記事で少し書いた、学生時代に患った病気について暇なので記しておこうと思います。

 

高2の時に私は自宅で大きな発作を起こして倒れ、救急搬送されました。

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病名は「てんかん

発作の種類はたくさんありますが、その中でも私が起こしたのは

比較的大きい発作に分類されるものでした。

 

その発作の後から、母の心配性は更に過敏になり

私が自室でテレビを見て大声で笑ったり、ちょっと物を落として音を立てただけで

「もう!びっくりさせんといてよ!」と怒られるようになりました。

 

倒れた時、大きな声で唸っていたのと、2階で倒れたのでものすごい音が階下に響いたのでしょう。

少しでも「発作」を想起させるような事を起こす度に、母は怒っていました。

 

短大に入ると、家でも課題をしなければいけないので(芸術系の専攻でした)

自室で集中して静かに作業していると急に部屋のドアを開けては

「あんまり根を詰めてやるなよ」と、定期的に釘を刺されました。

こういう事が多々あり、母の足音に敏感になった事は前にも書きました。

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今までずっと健康体だった娘が、意識を失って倒れて

数秒痙攣を起こしていたのだからさぞかし母も驚いたことと思います。

その時の私の姿は母のトラウマになっているだろうな…と思ってたし

母の中でてんかんというのは、差別される対象だと思っていたようで

「あんまり外で(病名とかを)話すなよ」とも言われた記憶があります。

 

今ほどネットのできる環境は当時うちにはなかったので

私は本気で『恥ずかしい病気なんだ』と思っていたし

看護師の友人に何の薬?と聞かれても適当にごまかしていました。

 

医師からは「寝不足には気をつけて」と言われていたので

二度と発作は起こすまい!と、それから私は毎日23時半頃までには就寝するように心がけていました。

少しでも寝るのが遅くなると、発作の引き金になるのでは…と不安で仕方ありませんでした。

そんな生活を、17歳くらいから約4年ほど。

21歳くらいの時には薬の量も初期に比べて半分以下になっており

発作も脳波の異常もなかったため、医師から服薬は終了でいいと告げられました。

 

その後も生活には気をつけていましたが

そのうちアイドルを追いかけるようになり、徐々に生活も不規則になりました。

遠征もするので寝不足なんかもざら。

しかし、その後は1度も倒れたことはありません。

 

今思えば、あれって何だったのだろう?と思うくらいです。

 

私は「体調不良はストレスから論」を結構信じていて

事実、母と離れて暮らすようになり

原因不明のプチ不調が知らないうちに良くなった、ということがたくさんあります。

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前回の記事にも書きましたが、当時はものすごいストレスを抱えて生きていたので

私の場合それが表面化したものがたまたまてんかんだったのかも?とも思います。

(医学的根拠はないです)

 

私がこれまでに母に罪悪感を感じてきた原因のひとつに

これも多少は関係していたんだろうな、と今になっては思います。

ずっと「おかしな病気にかかって親に迷惑を掛ける子」と自分のことを思って暮らしていましたから。

(今は全くないです。病気は不可抗力ですから)

 

心配を掛けたことは事実です。

しかし、それが高じて「大きな声や物音を出すな!」と怒ったり

ノックもなしに急に部屋に入って「作業もほどほどにしとけよ」と命令するのは

いかがなものか…と今になって思います。

私のことを心配しているというよりかは、またややこしいこと起こすなよ

という風にしか私には感じられなかったからです。

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ストレスが病を呼び、毒母との暮らしの中でそれがさらにストレスを生む原因になっていたのかも…とも…思わざるを得ません。

 

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