かつて私はテレビ等で見る「〇〇被害者の会」みたいな集まりが嫌いでした。
起こった事は仕方ないし、亡くなった人も戻ってこないのに済んだことをいつまでもしつこいな。
この人たちは死ぬまで傷の舐め合いをしていくのかなと思っていました。
けれど、自分が毒母やモラ気質の人の被害者だったのだなと認識してから、そういった活動をする人たちの気持ちがわかりました。
ただ、辛い悲しいと言って傷を舐め合うためではない
こういう事がなぜ起きてしまい、どうすれば良かったのか
これからどう生きていけばいいか、自分たちにできることは何か…
過去を掘り返してグズグズしているだけではない、前向きなものだと今は思います。
実家を出て色々な解毒を試みて、失敗したこともあるし、思い出しても辛いことばかりだし、あのまま実家で騙し騙し自分を殺して生きた方が楽だったのかも…と思う事も何度もありました。
けれど、考えを巡らせ文章にするという事が私には合っていて
それにより、実際あまり昔を思い出さなくなったし、思い出しても前ほど長時間嫌な気分に支配されることがなくなりました。
体にまとわりついてたものが、ブログに投稿するとふわっと自分から離れ、そばで浮遊している感じ。
視界からなくなるのが理想なのかも知れないけれど「何となく浮遊させておける」だけでもずいぶん身軽になっていると思います。
あとは母と話をしていても、昔の母の言動を思い出しても
人の話す事を「理解しようとしていない」のではなく「うまく理解・処理できる回路が備わってなかった」のでは?というのが最近わかってきたのも大きいかも。
前々から母は私の真剣なLINEをスルーする傾向があり、姉が一度何でたりのLINEを無視するん?と聞いたそうです。
母は大真面目に「今さら言われてもどうしたらいいかわからん。もう済んだことやん」と、答えたそうです。
母はけして意地悪で返してるのではなく、本当に心から対応方法がわからないのです。
母からしてみれば、こうやって私も姉も苦しみながら、吐き出している行為に対し「済んだことを今さら言われても困る」しか感じないんです。
確かにしつこいのは百も承知ですし、時を戻す訳にも行かないから今さらどうしようもないです。
母の回路って、すっぱりそこで切れてて、続きがないんです。
「嫌な思いさせて、悪かったね。ごめんね」というたった一言で、私たちの魂は幾分か救われるのですが、母にはそういう回路がそもそもないんですよね。
まぁ「つらい人につらかったねって言って何になるん?」と、真顔で堂々と言うような母ですからね。
ブログを書くのは、母の幼い頃の事、家で起きた印象的なエピソード等、点在するものを線で繋いでストーリーにする作業とも言えます。
結局母はこういう風に色んなことを線として繋げて考えられないのだと思います。
だから私たちが何度訴えかけても「それを今言って何になるの?」と「急に言われた今の自分目線」でしか考えられないし急に「ここぞ!」と訳のわからないことを自信満々で言うのでしょう。
母の全ての行動は、その時その時「点」でできている。
だから訳のわからないとこで急に「点」でキレたり、謝ったりする。
歴史の授業はストーリーで覚えると頭に入りやすいと聞いたことがあります。
合う合わないあると思いますが、まさに私もそのタイプで、こういう時代だからこういう問題が起き、誰がこうしようと決めたと聞き、納得したり腑に落ちたら頭に入りやすいのです。
だから、母もキレた後でもいいから「これがこうで怒った」とかきちんと説明さえしてくれていたら、違っていたかなと思う訳です。
(まぁほとんどがただ機嫌が悪いだけで、理由もないんでしょうけど)
母の荒い気性は、幼い子どもにはあまりにも不可解で、理不尽でした。
だからその訳わからなかったことを少しずつ繋ぐ作業を、今私がブログでやっているわけです。
まさにこのブログが冒頭に書いた「〇〇被害者の会」と、同じものなんだと思います。